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(中野区)江古田駅から東中野駅までの庚申塔など(その4/4)


2019年1月21日(月) 晴、都心最高10.5℃、北西の風最大7m寒い

その1/4では、江古田駅から練馬区能満寺の庚申塔三基を再訪したあと、江原観音堂の庚申塔・板碑を訪れ、散策した(2019年2月17日登載)。
その2/4では、東福寺の庚申塔、江古田氷川神社の力石、野方配水塔、蓮華寺の庚申塔、哲学堂などを訪れ、散策した(2019年2月24日登載)。
その3/4では、松が丘2 北野神社の富士講碑、東光寺の庚申塔、路傍の庚申塔、功運寺の吉良家墓所などを訪れ、散策した(2019年3月10日登載)。



功運寺山門を出て上高田中通りを引き続き南東に行くと、400mで早稲田通りの駐在所前交差点に出る。
右折して直ぐ右側に青原禪寺がある。
190121中野区東部019 190121中野区東部019-1
(左)青原禅寺山門。 門前右に寺号標石「曹溪山青原禪寺」。
(右)本堂、参拝。
190121中野区東部019-2 190121中野区東部019-2-1
(左)境内左奥の鐘楼、左側に木祠が見える。 庚申塔は木祠の南側にある。
(右)柱状型庚申塔。 日月・六手青面金剛・三猿。
190121中野区東部019-2-2 190121中野区東部019-2-3
(左)青面金剛の上半身。
(右)三猿。 左側の猿は立膝でなく正座し、片手のみで口を押えている。

交差点に戻り右折、細い通りは東中野ギンザ通りと名が代わった商店街で、南西に行くと広い山手通りに出る。すぐ左手にJR東中野駅前広場を見て山手通りを南下する。
坂を下る途中、左側に石造鳥居が見える。東中野にある氷川神社の西側脇参道である。
190121中野区東部020 西参道の鳥居
脇参道の二つ目の鳥居。
脇参道から主参道に出ると左側が本殿である。
190121中野区東部020-1-1西参道の狛犬 190121中野区東部020-1-2
脇参道の狛犬一対。
190121中野区東部020-2
本殿、参拝。
本殿に向かい左(西)側に植栽を囲んで丸石が並んでいる。
190121中野区東部020-3 190121中野区東部020-3-0
丸石のうち右側の5個が力石である。 下部の四分の一ほどが土に埋もれている。
左側の力石3個。
190121中野区東部020-3-1右5 190121中野区東部020-3-2 右4 190121中野区東部020-3-3 右3
(左)左端の力石。 切付は、中央「三十弐〆余」、下「市/江/忠」でそれぞれ名の上一文字のようだ。 「〆」は貫(一貫は、約3.75kg)の異体字。
(中)左から2個目の力石。 切付は、中央「礒牛三十貫」(三は五かも)、右脇にも薄く「三十〆」とある。下側「中野☐/・・・門」、右側「寛政十一未(1799)九月」。 もし「礒牛」が力石の銘であれば、三十貫と比較的軽い力石に銘があるのは珍しいと思う。 
(右)左から3個目の力石。 切付、中央「四十〆目」、下側に「市五☐/江左エ門/忠右エ門」と名が読める。 左端力石の名は、これと同一人物かも知れない。
190121中野区東部020-3-4 190121中野区東部020-3-5 右1
(左)右から2個目の力石。 切付、中央「五拾三貫」、右側「淀☐/同」、左側「同/☐」。
(右)右端の力石。 切付、「廿八貫余」、下側「江左/七蔵」。
同じく本殿に向かい左(西)側の南寄りに稲荷社がある。その西奥に小詞と並んで庚申塔がある。
190121中野区東部020-4 庚申塔と徳川石燈籠
画像中央の境内灯の右後ろに庚申塔。
190121中野区東部020-4-1 190121中野区東部020-4-2
光背型庚申塔。日月・文字・三猿。刻字は中央に願文がある筈だが読めない。右側「寛文九己酉年(1669)」、左側「十一月☐日」。右側面に「右あらい梅照☐道」とあり、道標を兼ねている。日・月の月は右側にある。
庚申塔などの背後に徳川将軍家霊廟の奉獻石燈籠が二基ある。
190121中野区東部020-5 徳川石燈籠
後ろ(西)側から撮影した、徳川将軍家石燈籠。
190121中野区東部020-5-1 北側 190121中野区東部020-5-2 南側
(左)左(北)側の銘文は、中央「惇信院殿 尊前」、右側「奉獻石燈籠一基/武州増上寺」、左側「寶暦十一辛巳年(1761)六月十二日/下野國大田原城主/☐従五位下・・・・大田原」。 惇信院は、第九代将軍家重。
(右)右(南)側の銘文は、中央「惇信院殿 尊前」、右側「奉獻上 石燈籠一基/武州増上寺」、左側「寶暦十一辛巳年六月十二日/・・・」。 「奉獻上」と刻まれているのは珍しいです。
南側に稲荷社があるが、背後のガケ上辺に大きな「忠孝」石碑がある。 その隣に赤茶色に錆びたリベット接合の球体がある。
190121中野区東部020-6 190121中野区東部020-6-1
日露戦争時の機雷だそうだ。東部区民活動センター運営委員会HPによると「明治時代の記念遺物、ロシアとの戦いの戦利品」とある。別のネット情報では帝国海軍が敷設した浮標水雷缶との説もある。 旅順をめぐる攻防戦で使われたものしょうか?
ガケ上の東(石段上右)側、手水舎の南に石柱が二基並んでいる。
190121中野区東部020-7
大きい左側が「敷石供養塔」で安政六己未歳(1859)九月☐建立、右側面に「氏子中 願主 覺順/當年八十三才 石工三右エ門」。区登録文化財の「覚順の敷石記念碑」。 右側は「石橋供養塔」で安永六丁酉(1777)十二月吉日建立、これも区登録文化財。
190121中野区東部020-8-1 石段寄り狛犬 190121中野区東部020-8-2
参道の南側にある狛犬一対。
190121中野区東部020-9-1 190121中野区東部020-9-2
本殿寄りの狛犬一対。
なお、区案内板「中野の氷川神社」には、「・・・拝殿にある中世の石の狛犬をはじめ、・・・」とあるが、この中世の狛犬は、拝殿の内に保管されているので、間近には見られない。

また西参道から出て、山手通りをJR東中野駅へと来た道を戻る。
190121中野区東部021-2 南東側 190121中野区東部021-1 北東側
(左)東中野駅南側。 かつて、駅向かいには映画館が二つ並んであった。私は、左(東)側の銀竜座が邦画、右側の金竜座が洋画だと思いこんでいたが、念のためネットで調べると金竜座の方が邦画だったそうだ。何分昔のことなので記憶が交錯しても当然だ、と自分を慰めた。
(右)駅の北側。 北側の東には、日本閣があった。神田川寄りと線路寄りには石組みがあり、滝が流れていた。北側の本館との間にはプールがあった、との記憶があるが・・・。

190121中野区東部022
JR東中野駅西口。

歩数計は、19,183歩(自宅から自宅)。 江古田駅から東中野駅まで所要時間は、約6時間だった。

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(中野区)江古田駅から東中野駅までの庚申塔など(その3/4)


2019年1月21日(月) 晴、都心最高10.5℃、北西の風最大7m寒い

その1/4では、江古田駅から練馬区能満寺の庚申塔三基を再訪したあと、江原観音堂の庚申塔・板碑を訪れ、散策した(2019年2月17日登載)。
その2/4では、東福寺の庚申塔、江古田氷川神社の力石、野方配水塔、蓮華寺の庚申塔、哲学堂などを訪れ、散策した(2019年2月24日登載)。



哲学堂公園を西側から出て、前の中野通りを渡った西方向に北野神社がある。
190121中野区東部012- 190121中野区東部012-0
松が丘2にある北野神社。 参道は石造鳥居と木造両部鳥居に続いて本殿へと至る。
190121中野区東部012-1 190121中野区東部012-1-1
狛犬一対。
190121中野区東部012-2 190121中野区東部012-2-0
拝殿と奥の本殿(たぶん画像は本殿の覆屋)。 参拝。
190121中野区東部012-2-1 190121中野区東部012-2-2
拝殿唐戸の入れ子板(羽目板)。ケヤキの杢目は、見事な玉杢のようだ。 離れたところから見たので、もしかしたら合板かプリントかも知れない。
190121中野区東部012-3 190121中野区東部012-3-1
(左)主参道の左側にある稲荷社。
(右)石造鳥居左側のブロック塀沿いに石組みがあり、手前には注連縄が張られている。 頂部に不動明王三尊らしい石仏が祀られている。
190121中野区東部012-3-2 190121中野区東部012-3-3
石仏下に富士講碑の石板が、はめ込まれている。 中央に「(朱入り)北口」・講印・「惣元講」、左側「江古田 講社/昭和三十五年九月改築/青山謹書」。 最近、改築した際の碑でした。
190121中野区東部012-3-4
石組み右側面の石板。「茲 垢離場不動尊/設スルノ願ヲ/・・・/大正十年・・・」。 左側面にも石板があったが、全く読めなかった。

南方向に行き、陸橋で中野通りを渡ってから、道なりに300mほど進む。道路に突き当る手前、左側に瓦屋根の覆屋がある。
松が丘1路傍の庚申塔
190121中野区東部013 190121中野区東部013-1
首から下を赤い布でしっかりと覆われた石仏が三基ある。左側が庚申塔だ。 日月と頭部のみが見える状態なので、持物や刻字は不明。右側面にも刻字がある。 赤い布には、般若心経が印刷されていた。

突き当った道路を右に行くと、道路は直ぐ二股に分かれるので左の細い方へと行く。150mほど先の十字路で左折し東へ向かう。
三井文庫の南側を通ってさらに東へ行く。下り坂の途中、左前方に五重塔が見えた。
190121中野区東部014 190121中野区東部014-1
光徳院の五重塔と鴟尾をのせた寄棟屋根のお堂。 墓地の入り口戸が開放されていたので入ったところ、真正面に五重塔があった。幸い木々が葉を落としていたので、伸びた枝越しに全体像が見えた。 正面へは回らず失礼した。

坂を下った突き当りを右折、直ぐ右側にある東側の脇参道から東光寺境内に入る。
190121中野区東部015
主参道へ出ると右に本堂がある。 参拝。 本堂前に銅燈籠が一基あった。
脇参道をほぼそのまま西へ進むと、右側に石仏が並んでいる。
190121中野区東部015-1 190121中野区東部015-1-1
(左)石仏のうち右から二基目が庚申塔。
(右)笠付型庚申塔。 日月・六手青面金剛・二鶏・邪鬼・三猿。刻字は右側「奉造立庚申・・・」、左側「・・・年十一月吉日」。 風化が激しい。
190121中野区東部015-1-2 190121中野区東部015-1-3
(左)青面金剛の上半身。 顔面の剥落は比較的新しそうだ。 最近、文春新書「仏教抹殺」鵜飼秀徳著を読んで、破損したような石仏を見ると廃仏毀釈の影響ではないかと思ったりするようになった。
(右)二鶏、邪鬼と三猿。
さらに西方向へ行くと、墓地の石段となるので最上段まで上る。
190121中野区東部015-2 190121中野区東部015-2-1
(左)奥の右側、桜木の下に石仏が四基ある。
(右)大きい如来像が庚申塔。 光背型阿弥陀如来立像。刻字は右側「奉待庚申心中二世安樂所願成就施主廿四人敬白」、左側「干時寛文三癸卯天(1663)九月吉日武州多東之郡上高田村」(Wiki「多摩郡」には、多摩郡が東西に分けられて多東郡、多西郡と表記されていた例が多く見つかっている。とあった)。
190121中野区東部015-3山門
東光寺の参道南にある山門。 左側はひな壇状の墓地。

山門を出てそのまま南下、西武新宿線の手前を右折する。西200m先の十字路左手前角に、上高田5路傍の庚申塔がある。
190121中野区東部016
ここでは、左側の細い道路へ右折する車両に引っ掛けられるのではないかと、心配してしまうような場所だった。
190121中野区東部016-1 190121中野区東部016-2
(左)笠付型庚申塔。 日月・六手青面金剛・邪鬼・三猿・二鶏。刻字は右側「奉造立庚申供羪講中」、左側「享保四☐亥天(1719)九月吉日」、下枠「二世/祈処/安樂」。 状態は良好。生花が供えられている。
(右)青面金剛の上半身。 主尊は柔和な面貌をしている。
190121中野区東部016-3 190121中野区東部016-4
(左)邪鬼と三猿。
(右)二鶏は三猿の下に線彫り。

前の道路・上高田中通りを西武新宿線の踏切を渡り南東方向へ行く。
190121中野区東部017
踏切の左右は、工事囲いがしてあった。
190121中野区東部017-1 新宿方向 190121中野区東部017-2 新井薬師駅方向
(左)新宿方向。          (右)新井薬師駅方向。

500m程行くと左側に功運寺がある。
190121中野区東部018 190121中野区東部018-1
(左)功運寺では、園児と保護者らしき人達が連れ立ち入門していた。山門前に女性ガードマンがいてチェックを受けた。吉良家墓参したい旨伝えると、ノートに氏名等記帳(昨日以前の記載もあった)後、リボンを渡された。写真撮影可否を訊ねると、本堂左の寺務所で申請手続きが必要とのこと。
(右)本堂、参拝。 本堂は入母屋造裳階付き(いりもやづくりもこしつき)で正面を吹放ちとしている。すっきりとした美しい姿の建物でした。
寺務所内インターホンで「吉良家墓参し写真撮りたい」と伝えると、「普通は許可してないが、良いですよ」とのこと。 本堂裏の墓地に進む。墓地案内図があり、右側であることがわかった。案内標もあって迷わずに行きつけた。 
吉良家墓所には、細長い宝篋印塔が四基ならんでいた。右端が吉良上野介義央(よしなか、読みは区説明板による)の墓でした。塔身部に「元禄十五壬午(1702)十二月十五日/靈性寺殿實山相公大居士/従四位上・・・」とある。 右から二基目が最も大きく「寛永廿癸未(1643)小春廿四日/後華蔵寺殿法山猷公大居士/・・・」。 墓所右脇には五輪塔「吉良家忠臣/供養塔」、左脇に石碑「吉良邸討死忠臣墓誌」もある。 
義央が赤穂浪士の夜襲で殺害された元禄15年12月15日は、西暦(グレゴリオ暦)では1703年1月31日ですが慣例によって1702年とカッコ書した。 旧暦の年末は西暦では新年に替わっていることが多いですが、このブログでも正しい西暦年ではなく、慣例に従った西暦換算年をカッコ表記している。

その4/4では、さらに南東方向の青原禅寺、東中野の氷川神社を訪れる。

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(中野区)江古田駅から東中野駅までの庚申塔など(その2/4)


2019年1月21日(月) 晴、都心最高10.5℃、北西の風最大7m寒い

その1/4では、江古田駅から練馬区能満寺の庚申塔三基を再訪したあと、江原観音堂の庚申塔・板碑を訪れ、散策した(2019年2月17日登載)。



江原三丁目交差点まで戻り目白通りを横断してから、一本西側の道路を南下する。下の原橋を渡って100mほど先にある信号機付き交差点で右折、300m行った先の右側に東福寺がある。
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(左)山門。              (右)参道の先、長い石段の上が本堂。 参拝。
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山門内、直ぐ左側に六地蔵が並び、その後ろに庚申塔がある。
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(左)柱状型の文字庚申塔。 文字・三猿。刻字は中央に「種子・奉☐造庚申・・・」。右側「寛文八☐年諸願成就/施主」、左側「十一月☐五日・・・」。表面が風化して、判読しづらい。
(右)細長い三猿。
山門前左側にスイセンが植えてあった。
190121中野区東部006-3 190121中野区東部006-3-1
この1月はとくに少雨だったせいか、せいが短く花・蕾も少ないようだ。

山門を出て西へ100m行くと右側に江古田氷川神社がある。
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参道には狛犬が二対あり、その手前には台石が二対ある。鳥居側台石は石燈籠のようで二つ目は狛犬があったようだ。 私が訪れた時、祈願の団体らしい上下青色の服を着た人たちが連れ立ち参集してきた。
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手前側の狛犬一対。
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本殿寄りの狛犬一対。
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拝殿、参拝。
参道左(西)側が少し高くなって草木に覆われている。 細い道沿いにいくつかの小祠がならんでいた。
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(左)右(北)端に熊野八幡神社がある。その右後ろに、モルタルで固定された力石がある。
(右)暗いので感度を上げて撮影したが、輪郭がはっきりせず切付が読み取りにくい。「(右横書き)奉納 ☐拾☐☐」らしい。
参道右(東)側奥に神楽殿(舞楽殿)がある。その手前の樹木内東側に「日露戰役記念碑」、石祠などがある。その右手前、参道寄りにも力石がある。
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(左)神楽殿。 中野区説明板には、概ね「神楽殿は、弘化三年(1846)に拝殿として建てられたもので、区指定文化財」とあった。
(右)力石。 切付は「(右横書き)奉納 三十五〆目(「〆」は極小文字)」、「粂治郎/・・・」。 中野区HPの文化財一覧では、本神社には力石3個が指定されているので、もう一個ある筈だが見当たらない。

鳥居を出て左(東)へ少し戻ると、Y字路となるので右へ行く。200mほどで、またY字路となる。左道路の左側に銭湯があった。
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江古田湯と煙突にある。 浴場の入口は奥のマンション半地下らしい。

散策はY字路の右へと向かう。100mほど行った工事中の大橋を渡り東へ進むと、右前方に野方配水塔が見えてくる。 さらに東へ行くと、右側道路の突き当り正面に配水塔があった。
190121中野区東部008 190121中野区東部008-1
野方配水塔。 区HPによると、「国登録有形文化財で昭和4年に建てられ、高さ約34m・径約18m。各戸への給水はこの塔の中に水を溜めて水圧による自然降下によって行う」そうです。
私が子供の頃は、離れたところからでも目立って見えた。 今、塔の全体像は離れたところでは間に障害物があり、敷地内では大きすぎて良き姿が確認できない。 練馬区にも同形の配水塔があったとの記憶が残っているが、定かでない。

配水塔の西側道路の向かい側に蓮華寺がある。
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(左)主参道がある正面は南側だが、画像の東側門から境内に入る。
(右)右側にある本堂。 参拝。
本堂から見て左側に鐘楼があり、その近くに庚申塔がある。
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鐘楼の右(南)側に石造物が四基ならんでいて、右から二基目が庚申塔
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(左)駒型庚申塔。 文字・三猿。刻字は中央「南無妙法蓮華経」、右側「宝永元甲申年(1704) 同行」、左側「十一月十四日 十一人」。題目の下にも刻字があるが、読めない。
(右)三猿。
鐘楼の左手前にもう一つ庚申塔?がある。
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板碑型庚申塔。 日月・文字。刻字は中央「南無妙法蓮華経 南無☐☐天王」、右脇「南無多寶如來」、左脇「南無釋迦☐尼佛」。右側「享保十九甲寅歳(1734)」、左側「十二月七☐」。 日・月があるので一応庚申塔としたが、適切かどうかわからない。
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(左)参道から本堂方向を振り返る。
(右)新青梅街道から撮影、石段を上ると門がある。

石段下の蓮華寺下交差点の向かい側に黄色いテント庇「中華定食」が見えたので、私にしては早めの昼食とした。
「ラーメン哲ちゃん」。11時45分ころの入店だったが、カウンターには数人の先客がいた。
190121中野区東部010
やさいラーメン650円、中華麺に野菜炒めがのせてあるイメージ。 直ぐに満席となり、店を出ると外には5-6人並んでいた。ガテン系の人が多いようだ。

交差点から哲学堂公園へと上がる狭いスロープがあった。 
哲学堂は区HPによると、源頼朝の重臣、和田義盛の城址だったそうだ。 グランドとテニスコートの間の桜並木を通り抜けた右側が管理棟。その南側に哲学に関係する建物などがある。 
掲示された案内地図には「七十七場名称案内」として真理界、哲理門、時空岡、造化カン(「澗」字の日に替え月))など見慣れない用語の名が記されていた。東京都説明板には「哲学堂公園は、哲学館大学(現東洋大学)創始者である井上円了が、・・・「精神修養的公園」として・・・」などと説明してある。 井上円了墓は直前に訪れた蓮華寺の参道西側にあった。
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(左)朱色の六角形平面をした塔は、「六賢臺(ろっけんだい)」で日本・中国・インドの東洋的六賢人が祀ってあるそうだ。 子どもの頃の記憶では、赤い三重塔だったが違っていた。
(右)四聖堂。 東洋哲学と西洋哲学の四哲人を奉祀してあるそうです。
いくつかの建物は改修工事をしていた。 六賢臺の後ろからガケを下り、妙正寺川を渡る。
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(左)ガケにあった「筆塚」。
(右)右岸に調整池の取水口が開いていた。 増水時にオーバーフローした流水がこの開口部から地下の調整池に流れ込み、溜め込むことで下流の流量を一時的に少なくするのでしょう。
右岸側も公園の一部で、哲学の庭と東屋がある梅林になっていた。
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紅・白の梅、ロウバイ(蝋梅)など咲いていた。

その3/4では、すぐ西にある北野神社の富士講碑を訪れてから、南へ向かい路傍の庚申塔や東光寺の庚申塔、功運寺の吉良家墓所などを訪れる。

テーマ : 史跡・神社・仏閣
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(中野区)江古田駅から東中野駅までの庚申塔など(その1/4)


2019年1月21日(月) 晴、都心最高10.5℃、北西の風最大7m寒い

中野区の東側を散策した。 江古田駅から練馬区能満寺の庚申塔三基を再訪し、江原観音堂の庚申塔・板碑、東福寺の庚申塔、江古田氷川神社の力石、野方配水塔、蓮華寺の庚申塔、哲学堂、北野神社の富士講碑、松が丘1路傍の庚申塔、東光寺の庚申塔、上高田5路傍の庚申塔、功運寺の吉良家墓所、青原禅寺の庚申塔、東中野の氷川神社などを訪れて、東中野駅まで散策した。



西武池袋線 江古田駅。
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北口から散策開始。 まず、2016年2月24日に訪れた際、門が閉じていて入れなかった、練馬区旭丘2の能満寺を再訪することとした。東方向の旭丘小学校の東に位置している。
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今日は鉄格子戸が開いており入れた。
直ぐ左側に鉄格子柵に囲まれて、石仏が並んでいる。左から二基目が庚申塔。 前回は道路から格子戸越しに撮影した。
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駒形庚申塔。 日月・六手青面金剛・邪鬼・三猿。刻字は右側「奉造立青面金剛尊講中」、左側「八人現當諸願如意満足所」。右側面「享保十三戊(1728)☐霜月十四日」。
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(左)青面金剛の上半身。
(右)邪鬼と三猿。
参道を進む。
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(左)山門。             (右)本堂、参拝。
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(左)山門内側の直ぐ左(西)側。手桶が置かれた水場があり、その裏に覆屋がある。
(右)覆屋内に石仏が三基、左側外にも地蔵が二基並んでいる。
覆屋内の左側が庚申塔である。
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駒型庚申塔。 日月・六手青面金剛・邪鬼・三猿。刻字は右側「奉造立供養青面金剛尊爲講中二世安樂」、左側「享保十☐☐三月吉日 武刕豊嶋郡上板」。
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(左)青面金剛の上半身。
(右)邪鬼と三猿。邪鬼は身体を右へ向けている。
覆屋左外の地蔵菩薩立像二基も庚申塔である。
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(左)光背型の地蔵菩薩が並んでいる、印相が異なる。
(中)左側の地蔵尊上半身。 胸前に鉢のようなものを持つ。刻字は中央上に種子、右側「奉新造立庚申供養二世安樂祈所」、左側「元禄十年丁丑(1697)・・・豊嶋郡上板橋村」。
(右)右側の地蔵尊上半身。 錫杖と宝珠を持つ。刻字は中央上に種子、右側「奉新造庚申供養二世安樂☐」、左側「延宝四年丙辰(1676)十一月吉日武刕豊☐郡上板橋村」。
本堂から読経が聞こえた。本堂左の向かいに二十三夜塔もあった。
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前面に刻字「二十三夜尊」。 二十三夜塔は、『日本石仏事典 第二版』庚申懇話会編によると、「二十三夜に講中が集まり、勤行・飲食をともにし、月の出を待つ行事。・・・月待は二十三夜が最も普遍的で、・・・」、また「刻像には勢至菩薩が最も多く、・・・」ともある。 二十三夜の月は、下弦の月で月の出が真夜中となる。もし、石碑の形が月の形をイメージしたのであれば、半月から少し欠け始めている。

南方向にある江原観音堂に向かう。 途中ミツマタがあった。
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(左)ミツマタの花は、まだ蕾の状態だった。
(右)西武新宿線の踏切を渡った。
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(左)池袋方向。          (右)江古田駅方向。

600mほど南西へ行くと目白通りの江原三丁目交差点に出る。右折してすぐ右側に江原観音堂がある。
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「東福寺江原町別院」案内板があり、次に訪れる東福寺の別院だった。 門内、左側に扁額「不動堂」が掛かるお堂が見える。
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(左)右(東)側の塀沿いに大きな石碑(区画整理事業の「整地碑」だそうだ)を中央にして、左右に石造物が並んでいる。
(右)左側の石仏群。 石仏にはそれぞれ生花が供えられていた。
左側石仏群の左から二基目が庚申塔。
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(左)板碑型庚申塔。 日月・文字・三猿。刻字は中央「種子・奉供養庚申諸願成就之所」、右側「延宝二年(1674) 同行☐人」、左側「庚寅二月十五日 女人八人」。☐字は多分「八」。
(右)三猿。
右から二基目の庚申塔。
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駒型庚申塔。 日月・六手青面金剛・二鶏・三猿。線刻の二鶏がありそうだが、明確でない。刻字は右側面「奉造立庚申待 願主☐中/二拾八人」、左側面「宝☐十三癸未十月吉日/江古田村 金左衛門」。 年号は干支から「宝暦十三年癸未(1763)」。
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(左)青面金剛の上半身。
(右)邪鬼と三猿。
右側石造物群の左から二基目に板碑があった。
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名号板碑の上半部で中央に「南無阿弥陀」、右側「光明遍照十方世界」、左側「念佛衆生☐☐不」と観無量寿経の偈が読める。
左端は剣で「奉獻」とあるが、不動明王に奉献された石造の利剣だろうか?
なお、境内西側の塀際には、石組み上に不動明王坐像、その下には二童子などの小像もあった。
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キンカンでしょうか、境内にあった小玉のかんきつ類。黄色に少し青みが残っていて、かじると絶対に酸っぱいです。

その2/4では、南へ向かい東福寺の庚申塔、江古田氷川神社の力石、野方配水塔、蓮華寺の庚申塔などを訪れる。

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

(さいたま市)氷川神社東側の板碑、富士塚、庚申塔など(その2/2)


2011年11月8日(火) 曇一時晴

7年ほども前の散策なので、かなり記憶が薄れている。メモを基にブログを作っているが、所どころ曖昧な文章になってしまった。

その1/2では、氷川神社一の鳥居と参道、浅間町2路傍の庚申塔、同町の富士塚、大日堂の板碑群を訪ね散策した(2019年1月19日登載)。



大日堂から西方向へ行き、氷川神社の参道に戻る。
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(左)氷川神社入口交差点の参道左側にある社号標石。正面刻字「官幣/大社 氷川神社」。これは、ちゃんと社号が正面を向けている。 参道を30mほど進むと赤い二の鳥居がある。
このブログの準備をしている最中に、「ついに大宮氷川神社に初の狛犬」という新聞記事が出た。2018年12月25日に武蔵野銀行が狛犬一対を奉納したそうだ。二の鳥居の前に設置され、稲田石製で高さが約3mあるそうです。
(右)本殿へとつづく長い参道。
参道を北へ、本殿に向かう。
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本殿右側にスジカイ補強された額殿があった。 多分、2011年3月11日の東日本大震災で受けた被害だと思う。このような壁が少なく開放的で、屋根が重たい瓦葺である木造建築物は、耐震性に難があります。
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(左)画像の「太々御神楽」額をはじめ多くの奉納額がある。この額の下側には「鐵道局大宮工塲・・・」と記されている。
(右)「大宮工塲第貮回西比利亜派遣鐵道技工班」と記された、SL上の集合写真など戦中の額もある。「回」字は「口、くにがまえ」に二本梯子、「回」の俗字。額の左側には「・・・凱旋紀年」も読める。戦前の鉄道省のころ、シベリアへ派遣された鉄道関係者が奉納したようだ。 昭和40年代の頃でも、国電のことを省線(しょうせん)といっていたお年寄りが、まだいた。そして今や、国電という言葉も絶えて久しく、E電も根付かずに平成の御代も終わりなんとしています。
七五三に合わせた菊花展が開催中だった。
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三本に仕立てた菊。受賞作品を示す札がついている。
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懸崖作り、全ての花が一様に咲いていますね。 見事ですね。
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右側の画像を見ると多数の花は、1本の根本から分かれて広げた枝に付けていることがわかる。すごい技術ですね。

右(東)へ回り日本庭園を通り抜ける。
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ツワブキの黄色い花がさいていた。

北にあるボート池の北側に埼玉県立歴史と民俗の博物館がある。
特別展「円空 こころを刻む」を観覧、県内の円空仏約170体が展示されていた。 平常展示の地下1階板碑室には県内の主要板碑が大小数十基展示されており、レプリカとはいえ壮観である。日本一大きな「野上下郷石塔婆」、頭部が水平の珍しい板碑、種子を本尊とした最古の板碑などある。以前、このブログに登載した蓮田市「寅子板碑」、毛呂山町「延慶板碑」などもあった。館内の展示物は撮影禁止(現在は不明)だが、板碑のコーナーは撮影可能だった。 飲食コーナーで昼食、焼きそば450円。

博物館を出て国体記念会館の横を東方向に入ったホテルの先、右側角に木祠があった。
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「夏光童子」(幼児の戒名のようだ)と刻まれた地蔵と思われる石仏が、二基納まる。中央には上半身のみの石仏もある。

さらに東方向に進む。
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東武野田線 大宮公園駅。

駅前を通り産業道路に出て北上、線路を越えた先の右側から昔の道らしい道路を入った。 100mほど行った左側の角、1m程のガケ上に木祠があり庚申塔があった。
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(左)樹の根元に傾いた木祠が、ひっそりとある。
(右)北区土呂町(とろちょう)の柱状型庚申塔。 文字「庚申塔」。右側面にも刻字があるが隠れて読めない。

北方向へ500mほど行った住宅地に、土呂町の浅間神社があった。
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高さ約2mの富士塚頂部には、西面する(富士山と相対?)木祠があった。
境内は灌木が刈り込まれるなど手入れがされていた。左側のカキノキは実をいっぱいつけていて熟したものもあった。採る人もなく鳥たちの餌となるのでしょうか。
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(左)「講印・冨士登山記念碑」石碑がある。右側に「月三講元祖先達・・・」と刻まれていることから、講印は「月の内に三」のようだ。左側には「太〃講中」。背面には「大正参年八月・・・」とあったので、比較的近い時代の建立です。
(右)「小御嶽大神」石碑。「神」字のツクリ「申」は、下に「八」がある。

産業道路西側に土呂町の百体庚申社があった。
社の外観は撮影し忘れたようで、残念ながら画像が無い。
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(左)中央上段には、何が記されているか不明の札と比較的大きい石猿が二体、右側は子ザルを抱いている。その間には、いわゆる三猿がある。
(右)猿たちは、それぞれ異なる姿と表情をしている。 また、袖なし半纏(ゲゲゲの鬼太郎が着ている「ちゃんちゃんこ」と似る)を身に着け、両かかとを付けて膝を離し立てて腰を下ろしている(何ていう座り方か知らない。武将の安座に似ている)。背後の煉瓦状石柱には「庚申☐」と刻まれている。この小石柱と猿像は、一体ではないようだ。
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左右はひな壇状になり、猿像と小石柱が対になり多数並んでいる。
さいたま市説明板があり「市内には信仰を示す庚申塔が約190か所残されており、・・・この百体庚申社は・・・新見国一郎氏が・・・庚申の日ごとに一躰ずつ石像の猿を奉納したもので、約17年の歳月を要して・・・」などとあった。 庚申の日は60日毎に廻りくるので、1年間に6体奉納することになる。

帰路につく。 少し頑張って、大宮駅まで行くことにした。
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県立歴史と民俗博物館正面、ボート池の西側から大宮公園を抜けて護国神社、大宮北小学校を通りJR大宮駅まで歩いた。

駅構内のBECKSでコーヒー210円をのみ、一息。

歩数計は23,387歩だった。 所要時間は約6時間(新都心駅-大宮駅、県歴博に約1時間滞在)。

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柴二郎(男)

Author:柴二郎(男)
酒はダメです。
たまに、散歩します。
読む人もいないと思うので、思いついたままの独断を書いています。
投稿は適当にするけど、当分は過去の散策記録が主です。
武蔵国はここでは、東京都・埼玉県とその周辺の範囲です。

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