(杉並区)荻窪駅から右回りで春日神社バス停まで その4/5
2022年4月26日(火)曇一時小雨、午後南風強。都心最高気温17.9℃
その1/5では、荻窪駅南口から荻窪4と天沼1路傍の庚申塔、天沼2・熊野神社の力石、天沼1・石仏群を訪れ、散策した(2022年5月21日登載)。
その2/5では、阿佐ヶ谷1・神明宮の力石など、阿佐ヶ谷南1路傍の庚申塔、成田東4・天桂寺の庚申観音を訪れ、散策した(2022年5月29日登載)。
その3/5では、成田西3・宝昌寺の庚申塔群、成田西2路傍の庚申塔を訪れ、散策した(2022年6月11日登載)。
五日市街道を横断してから東方向へ戻り、関東バス駐車場東を左(北)へ入る。善福寺川緑地を横断して西田橋を渡り左岸へ行く。橋の左寄りは工事中らしく万能板で仕切ってあった。北へ行くと緑地の門があるので道路に出る。右へ200m行くと左側に石造鳥居がある。


荻窪1にある田端神社。画像左はL・フォレスト、マンションでしょうか。
参道を進み木造両部鳥居の先左側に石仏が並んでいる。


(左)左端は頭巾をかぶっていないが大黒天(大国主神との習合といわれる)らしい。台石正面に「□国」とあるようだ。区説明板によると、祭神五柱のひとつが大国主命だそうです。
左から2基目と4基目は地蔵菩薩。
(右)左から3基目が庚申塔。日月・六手青面金剛・邪鬼・三猿。刻字は右側「奉納庚申 武刕…七左衛門」、左側「享保六丑年(1721)十月吉日☐行十一人」。「丑」字は異体字。日輪が載る瑞雲の位置が低いのは、どのような意味があるのでしょうか?


(左)青面金剛の上半身。
(右)邪鬼と三猿。
参道を進むと社殿。ほぼ東面している。


(左)拝殿、参拝。鈴緒は巻き上げてあった。
(右)白壁建物は幣殿あるいは石の間で、本殿の覆屋は樹に隠れている。
社殿の左脇に赤い鳥居と稲荷社がある。


その参道左に庚申塔が2基ある。
左の庚申塔。

小型の笠付型の庚申塔。日月・六手青面金剛・三猿。刻字は右側「延宝五丁巳年(1677)」、左側「二月廿九日」。右側下にも刻字があるが読めない。月輪は右にある。


(左)青面金剛の上半身。
(右)三猿。
右の庚申塔。

駒型の庚申塔。日月・六手青面金剛・二鶏・邪鬼・三猿。刻字には朱が入る。右側「奉供養庚申」、左側「享保三戊戌(1718)閏十月吉日」。


(左)青面金剛の上半身。刻像は全体に良い状態だが、面貌が破損している。人為的とも思える。
(右)二鶏、邪鬼と三猿。
稲荷社参道の右には力石が11個並んでいる。木札が立っているが、全く読めない。


(左)左半の6個。 (右)右半の5個



(左)左端。切付は上「(右横書き)奉納」、中央「四拾貫目」、右左側「大正六年十一月/吉田☐ /井口角次☐」。(一つ目☐は「内」か)。
(中)左から2個目。切付は上「(右横書き)奉納」、中央「四拾五貫目」、右左側「大正六年十一月/當村/…次郎」。
(右)左から3個目。切付は上「(右横書き)奉納」、中央「四拾五貫目」、右左側「大正六年十一月/井口安五郎 /中島☐太郎」。



(左)左から4個目。切付は上「(右横書き)奉納」、中央「三拾八貫目」、右左側「大正六年十一月/當村/中…」。
(中)左から5個目。切付は上「(右横書き)奉納」、中央「四拾貫目」、右左側「大正六年十一月/井口安…郎 /中…郎」。
(右)左から6個目。切付は上「(右横書き)奉納」、中央「五拾貫目」、右左側「大正六年十一月/當村/小林市松」。



(左)左から7個目。切付は上「(右横書き)奉納」、中央「五拾五貫目」、右左側「大正六年十一月/當村/小林市松」。
(中)左から8個目。切付は上「奉納」、中央「三拾二貫目」、他にも切付がありそうだが刻字が浅くて読めない。
(右)左から9個目。切付は上「(右横書き)奉納」、中央「三拾五貫目」、右左側「大正六年十一月/松の木/井川新太郎」。


(左)左から10個目。切付は上「奉納」、中央「二十八〆目」、他にも切付がありそうだが読めない。
(右)左から11個目。切付は上「(右横書き)奉納」、中央「三拾二貫目」、右左側「大正六年十一月/□□次郎」。
ここで大正6年(1917)11月に大きな行事が行われたようですが、年表を見てもわかりません。大正4年11月には大正天皇即位がありました。ほとんどに「當(当)村」とあり、地元の力自慢が集まったようです。重さ1貫は約3.75kgなので、最も重い55貫のものは、約206kgになります。いつものことだが、文字の読み取りは自信がないです。誤りがあるかも知れません。
庚申塔背後の裏参道を通り、西側の道路へと抜ける。左(南)へ行く。
先ほど横断した善福寺川緑地の北の門に突き当たるので、右折する。河川工事中らしく神通橋は通行不可で、仮設の道路と橋を進む。

途中、工事現場事務所の道路際に、作業員が拾い集めたらしいボールがまとめてあった。小さいのは左が軟式野球ボール、右がテニスボールのようだ。
仮設橋を渡って直ぐ先の十字路を左(北西)へ行く。道なりに400m行くと五日市街道に出るので右折し西へ進む。約400m先で環状八号をくぐり、さらに300m行くと、左の斜めT字路角に覆屋がある。

宮前1路傍の庚申塔である。生憎と格子扉が閉めてある。格子の間から撮影した、内には2基の庚申塔があった。 区説明板には「ここに建立されている石塔は、延宝六年(1678)・元禄九年(1696)銘の庚申塔です。…なお、ここからは昔、富士山が見えたので富士見浦と呼ばれました。塔わきの藤の木は、「庚申の藤」と呼ばれ、…」とある。堂奥に見える藤のことらしい。

左は、日月・青面金剛・三猿が見て取れる。かろうじて読める刻字は、右側「延宝六☐天(1678)…」。左側「…十一月廿三日」。月輪は右にある。


(左)青面金剛の上半身。 (右)三猿。

右はやや大型です。日月・六手青面金剛・三猿。刻字は右側「奉竒進庚申供養 武州…」、左側「元禄九丙子年(1696)☐一月十九日 大宮前新田村」。


(左)青面金剛の上半身。 (右)三猿。
最後の訪問地・春日神社を目指し、五日市街道を更に西へ行く。