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(稲城市)稲田堤駅から南多摩駅まで その1/4


2019年12月13日(金)曇。 都心の気温は最低6.5℃、最高9.4℃だった、寒い。

稲田堤駅から川崎市菅路傍の庚申塔を3カ所、稲城市旧渡船場道の馬頭観音群(一字一石供養刻字)、矢野口路傍の石橋供養塔と庚申塔4カ所、東長沼路傍の石祠・板碑と庚申塔、大丸路傍の庚申塔4カ所、大丸の円照寺庚申塔・キリシタン燈籠と大麻止乃豆乃天神社の彫刻、大丸の医王寺庚申塔などを訪れ、南多摩駅まで散策した。



JR南武線 稲田堤駅。
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 001 稲田堤駅
このあたりは、川崎市の菅である。このブログの範囲は東京都と埼玉県と宣言してあったが、武蔵国は現在の川崎市と横浜市の大部分を含んでいたので、ついでに足を少し延ばした。

稲田堤駅(北口)を出て、右向かいのカラオケ店右の狭い通路を通り北西へ行く。道なりに進み京王線の高架下を通ってから100m程で右折。100m行くと角に木祠がある。
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 002 191213稲田堤駅から南多摩駅まで 002-1
背後のマンションは敷地境に太いケヤキが植えてあり、かつて農家だったと思われる。
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 002-2 191213稲田堤駅から南多摩駅まで 002-3
(左)板駒型の庚申塔。 日月・六手青面金剛・三猿。刻字は右側「奉☐☐青面金剛尊二世安樂祈・・・」、左側「申天十一月吉祥日 施主・・・」。
(右)青面金剛の上半身。
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 002-4
三猿。

少し戻り、ひき続き北西へ200m行ってから左折し、南へ向かう。直ぐ南武線の踏切となる。
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 003
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 003-1 191213稲田堤駅から南多摩駅まで 003-2
(左)稲田堤駅方向。       (右)矢野口駅方向。

踏切から20mほど先の左側に赤い屋根の覆屋がある。
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 004 191213稲田堤駅から南多摩駅まで 004-0
菅路傍の庚申塔。 ブロック造壁の祠に、4基の石造物が納まる。鉄格子がついていて、近くに寄って見られない。 
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 004-1 左1 191213稲田堤駅から南多摩駅まで 004-2 左2
(左)左端、柱状型。「・・・観世音・・・」、「世」字は異体字。左右にも刻字があるが全く読めない。風化が激しい。
(右)左から2基目は庚申塔。 日月・六手青面金剛・邪鬼・二鶏・三猿。これも激しく風化している。刻字は右側「・・・金剛尊」のみ読めた。
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 004-2-1 191213稲田堤駅から南多摩駅まで 004-2-2
(左)青面金剛の上半身。頭部右側に青色がある。
(右)邪鬼、二鶏と三猿。
左から3基目。
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 004-3 左3
庚申塔。 日月・青面金剛・三猿。少し青い顔料が残っているようだ。これも激しく風化している。
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 004-3-1 191213稲田堤駅から南多摩駅まで 004-3-2
(左)青面金剛の上半身。
(右)三猿。
左から4基目(右端)。
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 004-4
橋供養塔のようだ。 刻字は中央「寒念佛・・・所木橋供羪塔」、右側「・・・庚申」、左側「四☐良辰」。造立に庚申講が関係したのでしょうか。これも風化が激しくて刻字の読みは自信がない。中ほどで折損補修してある。

さらに南方向へ進み城下交差点で右折し府中街道に入る。40mほど先の左側に木祠がある。
その手前で丸く刈り込まれたヒイラギが咲いていた。
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 005 ヒイラギか 191213稲田堤駅から南多摩駅まで 005-0
白い花に芳香は感じなかった。
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 005-1 191213稲田堤駅から南多摩駅まで 005-1-0
木祠内には、3基の石造物が納まる。 
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 005-2 左
左側は庚申塔、右側上部が欠損している。 日月・六手青面金剛・二鶏・邪鬼・三猿。刻字は右側「☐建立」、左側「青面金剛」。右側面にも刻字がありそうだが読めない。
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 005-2-1 191213稲田堤駅から南多摩駅まで 005-2-2
(左)青面金剛の上半身。
(右)二鶏、邪鬼と三猿。両側の猿は共に左を向いている。
中央には地蔵菩薩立像。 台座に「(縦書き)奉造」、「(右横書き)六地蔵菩薩」とあり、六地蔵あったうちの一体でしょうか?
右側の石仏。
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 005-3 右
柱状型。 正面に「馬頭観世音」、「世」字は異体字。右側面「明治三十三年(1900)八月/建之」、左側面「願主田代☐☐」。

府中街道を北西へすこし行ってから1本右側の道路に移り、さらに北西へ1kmほど歩くと道路に突き当たる。この道路上に都県境がある。 右の北へと向い南武線高架下を通ってから約200mで突き当たるので左折。すぐに細い道路に突き当たると、正面に石仏が並んでいる。
ここからの散策は、稲城市域になる。 
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 006 旧渡船場道の馬頭観音塔群
石仏群前の細い道路は、下記説明板によると旧渡船場道というそうだ。 道路の右方向には多摩川の護岸が見える。
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 006-1 191213稲田堤駅から南多摩駅まで 006-2
(左)石仏群の左半分、馬頭観音が6基並んでいる。  
(右)石仏群の右半分、馬頭観音が6基と断片が並んでいる。 確認できた範囲では明治から昭和にかけての造立でした。全て文字塔です。
中央にひときわ大きい刻像がある。
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 006-3 中央 191213稲田堤駅から南多摩駅まで 006-3-1
(左)三面八臂の馬頭観世音菩薩坐像。 刻字は右側面に「大☐☐典普門品一石一字」と読める。☐☐は、「乘妙」かも知れない。この馬頭観世音塔は一字一石塔でもあるようです。左側面にも小さな文字で刻字があるが、読めない。 
稲城市の馬頭観世音塔説明板があり、「この馬頭観世音塔は、多摩川のもとの渡船場の近くにあり、文化十三年(1816)に造立され、市内に現存する最古のものである。・・・造塔に協力した相当に広範囲な十九の村名が記されている。・・・」とある。
(右)主尊の上半身、頭上に馬頭を戴く。

旧渡船場道を南へ行く。
191213稲田堤駅から南多摩駅まで 006-4 191213稲田堤駅から南多摩駅まで 007
(左)馬頭観音群を振り返る。道路の先が多摩川。
(右)直ぐ右側奥に薄黄色の鳥居がある神社があった。Google mapでは白山神社とある。 鳥居を中指の関節で叩いてみると、プラスチックのような比較的軽い音がした。平成六年建立とあった。 蓮田駅周辺を散策した時(2019年12月28日登載)、愛宕神社に同じような色の鳥居があり気になっていたので、確かめてみた。

南西にある、石橋供養塔を訪ねてから、西方向の稲城市矢野口にある庚申塔などを訪ねる。

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(皇居)大嘗宮一般参観 その2/2


2019年11月29日(金) 快晴

その1/2は、皇居坂下門から大嘗宮南側を参観した記録(2020年1月12日登載)。

膳屋(かしわや)の先を右へ行くと、大嘗宮を西側から観ることができる。ただし、外周垣からさらに少し離れた位置からだった。 警備の都合上でしょうね。
191129大嘗宮 004-0
参観の人々は、皆手を差し出している。 私を含めて、観ることより撮影することに熱心だ。当然、立ち止まってしまい列は動かない。 画像右側の手前が膳屋、先が斎庫。奥左の石垣は江戸城天守台、真正面の塔が目につくビルは千代田区役所庁舎。
膳屋を過ぎると視界が開けて、奥の建物を観ることができる。
191129大嘗宮 004-1 主基殿平側 191129大嘗宮 004-2 主基殿
主基殿。
主基殿は桁行方向5間、梁間方向2間の建物。屋根は切妻で木板を重ねて葺いてある。 皮付き丸太のカツオ木は5個だが、内側の3個は吹き寄せだ。 主基殿の西側平面(ひらめん)にある出入口には、御簾が掛けてあった。悠紀殿も同様だろう。
191129大嘗宮 004-2-00 191129大嘗宮 004-2-000悠紀殿の千木・鰹木
(左)主基殿の北側妻面。 母屋、柱・梁などは皮付き丸太、貫なども皮付き丸太。垂木は角材。 外壁は薄茶色で凹凸や色むらがない。材料だが同様の風合いをした小忌幄舎の垂れ壁が、イグサを編んだゴザのようだったので、多分ゴザだと思う。黒木灯籠が見える。画像下辺に見えているのは斎庫外周垣の東側部分で、柴垣は後ろに隠れている。
(右)悠紀殿の破風回り詳細。 画像では小さいがケラバを拡大すると、長さ数10cm、厚さ1cm程の板の先を斜めに削いだものをずらして、数段重ねて下地材に葺いているようだ。杮葺き(こけらぶき)だと思う。 同じ板葺きでも付属屋とは葺き方が異なり、より細かい丁寧な作業が必要です。
191129大嘗宮 004-2-0 191129大嘗宮 004-3 左主基、中悠紀、左廻立 
(左)主基殿の斎庫(さいこ)。 斎庫も膳屋と同様に白いテント屋根に鉄骨造フレームです。外壁は画像手前や右の外周垣と同じく葦を編んだもので覆われている。 どちらも外壁はあるが、材料は草です。
斎庫を過ぎると東方向の先に悠紀殿も観ることができる。
(右)画像の右が主基殿、中央奥が悠紀殿、左が廻立殿。
191129大嘗宮 004-4悠紀殿
悠紀殿の屋根。 カツオ木は主基殿と同じです。外観上、違いは千木先端の形だけのようだ。手前の黒木鳥居は北神門。 附属屋・廊下などのシンプルな一枚板を用いた板葺き屋根の重なりが美しい。
191129大嘗宮 004-5-0 191129大嘗宮 004-5 開立殿
廻立殿(かいりゅうでん)。 配置は柴垣の外だが、廻立殿の屋根は杮葺きだった。外周柱は柱材を通した掘っ建て柱。外壁は悠紀殿・主基殿と同じ薄茶色で、多分ゴザです。なお、西側に付く木階は、段木が皮付き丸太を面落した太鼓材です。両殿も同様の造りだと思います。千木やカツオ木などの神社建築としての造作はない。ここでは、神道的儀式は行われないのでしょう。
なお、目についた限り杮葺き屋根は、殿外小忌幄舎と東・西の小忌幄舎でも用いられている。どちらも皇族が参列された建物だそうです。帳殿も杮葺きだと思うが、撮影画像からは確認できなかった。

大嘗宮の建物概要をまとめてみました。
大嘗宮の建物リスト
令和の時代的要請があるなか、神道の伝統を建築的に現わした結果として、これら建物のありようが、儀式の中での神道的ヒエラルキーを示しているのでしょうか?
「大嘗宮平面図」を見ると、大嘗宮は真南でなく磁南に面していることがわかった。 私は当然のこととして、太陽の位置と関係する真南を向いているものだと思っていた。

角材は勿論だが、丸太材の黒木鳥居も仕口がキッチリと納まっている。施工者の清水建設は社の総力をあげて建築したのでしょう。120人に上る宮大工が腕を競ったそうだ。材料の木材は、長野県産の唐松皮付丸太、静岡県産の杉皮付丸太、北海道産のヤチダモ皮付丸太などとのこと。落札工事費は9億5700万円(税込)で、予定価格の約6割だそうです。
これらの木材は、いずれバイオマス燃料になってしまうようです。 仮設建築物とはいえもったいない気もするが、神道的にはあるべき措置なのでしょう。

廻立殿の後ろから北に向かい、本丸天守石垣の東側を通り東へ向かう。
191129大嘗宮 005 191129大嘗宮 006-1
(左)天守台、今日は登れない。 明暦の大火(1657)で焼け落ちた天守を再建すべく花崗岩で石垣が再築造されたが、四度目の天守が建築されることはなかった。 
天守台再築造に関しては、2014年3月8日登載ブログで加賀前田家の穴太衆が携わったことなど記した。 下記リンクをクリックすると、別ウィンドウで開きます。
   「皇居と周辺に江戸城の面影と几号を訪ねる(その2/3)」
(右)途中に咲いていたツバキ、白花ですが侘助のような花です。
書陵部を右に見てから梅林坂を下る。左へ行くと平川門だが、右の三の丸方向へ向かう。白鳥濠と背後の長い石垣を右手、二の丸庭園を左手に見て南下する。
191129大嘗宮 006-1-1 191129大嘗宮 006-1-2
(左)二の丸庭園、穂を出していたススキ。 季節は進んでいます。
今度の大嘗宮建設では、主要建物の屋根も板葺きとしたが、先例に倣い茅葺とすべきとの意見が報じられていた。
(右)皇居正門石橋旧飾電燈。 一般的には二重橋と誤称されている、二連アーチ石橋に設置してあったもの。
さらに南下する。 二の丸・三の丸は大嘗宮参観と関係なく、平川門・大手門から入った参観者もいる。

今朝がた通った長方形広場の北東側に出る。
191129大嘗宮 006-1-3 191129大嘗宮 006-1-4 中ノ門跡石垣
左側の百人番所。 右側は中之門跡、これから大嘗宮へ向かう人々が見える。
191129大嘗宮 006-2
同心番所が左側にある。この建物の鬼瓦には三つ葉葵紋が残っている。 
三の丸尚蔵館に寄る。この期間中は毎日開館しているそうだ。ほとんど待つことなく入館できたが、狭い館内は大変な混雑だった。 もしかしたらと期待したが、やはり館内撮影は禁止だった。 館前で小休止。
すぐ北東が大手門である。
191129大嘗宮 006-3
大手渡櫓門から桝形に入る人々。 今いる桝形から高麗門を出ると眼の前が大手門交差点です。
191129大嘗宮 007 丸の内 191129大嘗宮 007-1 「乗り捨てカーシェア」駐車場
(左)大手高麗門を出てからも、参観者が滞りなかなか信号を渡れなかった。 待つ間に写真を一枚、大手濠越しに大手町1丁目のビル群。
(右)正面の永代通りを東へ行くと、「乗り捨てできるカーシェア/専用スペース/国道1号大手町駅」掲示板があり、かわいいEV車が駐車していた。白色でドアー回りが黒色、多分一人乗りです。

東京駅丸の内北口は、南東へあと300mほどだ。

歩数計は、11,797歩だった(自宅から自宅j迄)。

宮内庁HPによると、大嘗宮の一般参観者は約78万人でした。

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(皇居)大嘗宮一般参観 その1/2


2019年11月29日(金) 快晴

令和度大嘗宮の儀は、令和元年11月14日午後6時30分から悠紀殿供饌の儀、15日午前0時30分から主基殿供饌の儀が執り行われた。

11月21日(木)から大嘗宮の一般公開が始まり、参観した。
有楽町駅の電気ビル寄りの改札から出る。祝田橋から外苑広場へ入ると10時少し前だが、行列ができていた。10分弱待って、手荷物検査となった。 カバンを開き内容物を確認した、開栓ペットなどは試飲するようだ。続いて金属探知器でボディ・チェックを受けた。
検査後は、列をつくらずバラバラになり坂下門へ向かった。
191129大嘗宮 001 191129大嘗宮 001-1
(左)坂下門渡櫓前。右側が蛤濠。
(右)丁寧に整えられた切石を積んだ石垣。
191129大嘗宮 001-2
坂下門を過ぎるとすぐ左に宮内庁庁舎がある。その前を直進すると乾通りで、明日から秋季の紅葉を観る通り抜けも併せて参観可能となる。多分大変な混雑となるだろう。 今日は右へ誘導される、左の石垣上に富士見櫓が見える。周りの風景を撮影しながら、ゆっくり進んでいく。誘導員から、立ち止まらないよう声かけがある。 しばらく歩くと長い奥行の広場に出る。
191129大嘗宮 001-3 中之門跡「 191129大嘗宮 001-4
広場の左(西)側、石垣が切れているところが中之門跡。右(東)側には長大な百人番所がある。 広場は中之門跡あたりで仕切られて奥へは行けない。
191129大嘗宮 001-5 中之門跡、右側石垣 191129大嘗宮 001-6
中之門跡を入る。綺麗に積まれた切石積み石垣を見ながら、なだらかな坂を登ると本丸の南端に出る。 このあたりに、江戸城本丸表御殿の玄関があった。
191129大嘗宮 002 本丸。大嘗宮遠景 191129大嘗宮 002-1
大嘗宮が遠望でき、多数の参観者も見える。 季節外れのサクラが、祝っているかのように咲いていた。今年はいつまでも暖かったせいでしょうか、花は春の季節でいうと五分咲きくらいあった。
191129大嘗宮 002-2
建物の全体が見えてきた。向かって右側の三角屋根が悠紀殿、左側が主基殿。
右側から廻り込み、南側に開く正門(戸はない)から入る。 
191129大嘗宮 003 正門柱と外周垣
門柱はヒノキと思われる赤味をおびた皮付き丸太。左右の外周垣は、葦を細い縄で編んだよしずを割竹で押さえたもの。
外周垣とさらに内側にある柴垣との間の東と西には、幄舎(あくしゃ)があるはずだが、今は撤去され参観者通路になっているようだ。 参観者は柴垣に沿い2~3列に重なりスマホやカメラを向けている。順路に従い右回りに移動を促されるが、なかなか動かない。
大嘗宮の建物は、皮付きの丸太をそのまま使用する「黒木造り」として知られている。 私は前回の平成度大嘗宮に続き2度目の参観だ。このブログを書くにあたり、比較のため写真を探したが、どうしても見つからなかった。
191129大嘗宮 003-1 191129大嘗宮 003-1-1
(左)正門の正面が、南神門。黒木鳥居があり、柴の戸で閉じてある。 南神門の奥の殿外小忌幄舎(でんがいおみあくしゃ)には、カーテン様の白い布を左右でまとめてあるのが見える。儀式前の報道公開時動画では、全体が白い布で閉じてあった。また、屋根は小さい板を重ねた、杮葺き(こけらぶき)に見える。腰壁は檜皮あるいは杉皮のようだ。
(右)黒木鳥居の柱。 前回観た鳥居と同じ木肌でした。その時はもっと近くで見た記憶があるが・・・。
大嘗祭の儀式を執り行う主要建物は柴垣の内にある。柴垣は東西南北の4ヶ所に神門が開いていて、それぞれ黒木鳥居がある。神門は悠紀殿と主基殿の間にも、中の神門があるので五つあるようだ。 鳥居の形は、伊勢神宮内宮と同じ神明鳥居です。
191129大嘗宮 003-2 191129大嘗宮 003-2-0
(左)中央の建物は風俗歌国栖古風幄(ふぞくうたくずのいにしえぶりのあく)、同じ建物は西側にもある。 ほとんどの付属屋は、壁がない吹き放しです。屋根は切妻で一枚板の板葺き目板打ち、柱や梁等横架材は製材した角材で鉋掛けしてあるが面取りの有無はわからない。
(右)一枚板の板葺き目板打ち屋根。板目使いの木目がきれいにでている。 このような板葺き屋根は、伊勢神宮の付属屋でも見られる。 手前は黒木灯籠の笠。
191129大嘗宮 003-2-1
柴垣。横に渡した竹には枝葉が挿してあるが、サカキだろうか。
 191129大嘗宮 003-3-1 主基殿の千木・鰹木 191129大嘗宮 003-3 
(左)西(左)側に建つ主基殿(すきでん)妻面の破風周り。置き千木(ちぎ)の上端は鉛直に、下端は水平に切ってある。
(右)東(右)側に建つ悠紀殿(ゆきでん)妻面の破風周り。置き千木(ちぎ)の上端は水平に、下端は鉛直に切ってある。
どちらの千木も風穴付きで、ムチ掛けは左右に4本ずつある。 この位置からは、建物の全体像が判らない。
柴垣内に建つ悠紀殿と主基殿およびその付属屋は、基本的に同じ建物です。ただし位置は、南北軸で線対称として東・西それぞれに配置されているようだ。
191129大嘗宮 003-4 191129大嘗宮 003-4-1 黒木灯籠
(左)主基殿と黒木鳥居。
(右)所どころに、笠が木の皮葺き、竿や中台が皮付き丸太材の黒木灯籠が立っていた。宮内庁HPの「大嘗宮平面図」で数えると左右8カ所ずつあるようだ。 儀式は夜中に執り行われるので、要所に配置してあるのだろう。ただし、儀式中も明りを灯したかはわからない。東京国立博物館企画展「天皇と宮中儀礼」で展示されていた、「御即位大嘗祭絵巻」(説明書には「大正度の即位礼に際して、登極令の条文に則った御大典の場景を描いたもの」とある)では、多分廻立殿から北神門へ向かい廊下を進む天皇の先には、松明を持ち足元を照らす二人の先導者が描かれていた。月明りのみだったのかも知れない。 
この種の掘っ建て柱の灯籠は神社でよくみられるが、名はしらない。
柴垣に沿い西へと進む。南西角に主基殿膳屋(かしわや)がある。
191129大嘗宮 003-4-2 主基殿膳屋
膳屋は、屋根が白いテント葺きでした。多分フレームは鉄骨造だが、外壁のみむしろを木棒で押さえサカキを差して伝統的にしつらえたようだ。

ここで参観順路は右へ曲がり、大嘗宮を西側から観る。 そちらからの方が、さえぎる建物などがなく主要建築物がよく解かった。

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蓮田駅周辺の北側 その4/4


2019年10月24日(木)  曇

その1/4では、西城にある天満神社の庚申塔群と力石、市役所向かい路傍の庚申塔などを訪ね、散策した(2019年11月23日登載)。
その2/4では、黒浜路傍の庚申塔を3カ所、真浄寺の板碑と力石、笹山路傍の庚申塔を2か所訪ね、散策した(2019年12月1日登載)。
その3/4では、笹山にある稲荷神社の富士塚、黒浜路傍の庚申塔、黒浜にある久伊豆神社の彫刻、川島路傍の庚申塔2カ所、川島にある富士塚と庚申塔などを訪ね、散策した(2019年12月15日登載)。



川島にある富士塚と庚申塔を訪れたあとも、しばらく元荒川右岸を北西へ進む。 宮前橋の手前左側に川島にある久伊豆神社の赤い鳥居が見える。
191024 蓮田駅周辺の北側 020 川島久伊豆神社 191024 蓮田駅周辺の北側 020-2
蓮田市説明板があり、先ほど訪れた久伊豆神社とほぼ同様の説明文がある。ただ、気になったのは、「「久伊豆」の読み方については、「ヒサイズ」と「クイズ」の両方があるが、この地方では、ほぼ「ヒサイズ」と読んでいる」とあった。 地区によってはクイズと読む神社もあるようだ。 クイズの方が楽しいですね。
朱塗り両部鳥居には、扁額「久伊豆大明神」が掛かる。 社殿は南東に面する。
191024 蓮田駅周辺の北側 020-1 191024 蓮田駅周辺の北側 020-3
境内には、「伊勢大々講」石碑や木祠がある。
191024 蓮田駅周辺の北側 020-4 191024 蓮田駅周辺の北側 020-4-1
狛犬が一対。
191024 蓮田駅周辺の北側 020-5 191024 蓮田駅周辺の北側 020-6
(左)拝殿と背後の覆屋。
(右)覆屋内に本殿。

境内裏の道路を西へ行く。このまま行けば800mほどで蓮田駅となり、ショートカットできる。
久台交差点角にサイゼリアがあるので、昼食とした。 14時に近い時刻だったが満席に近かった。
191024 蓮田駅周辺の北側 021
ランチメニューのほうれん草スパゲッティに添えてキャベツとアンチョビのソテー、計699円(込)。

交差点を右(北)へ行くと100mほどで左側に細い道路が枝分かれしている。角地に庚申塔がある。
191024 蓮田駅周辺の北側 022 東の 庚申塔
東2路傍の庚申塔。
191024 蓮田駅周辺の北側 022-1 191024 蓮田駅周辺の北側 022-2
(左)笠付型の庚申塔。 日月・六手青面金剛・邪鬼・二鶏・三猿。刻字は右側面中央が、「北 安永四乙未年(1775)十一月吉日」、左右に「右こばり/左志(濁点付)おんじ」。下段「武州埼玉郡/上蓮田村講中/同村中/願主/・・・」。左側面「南 右 志(濁点付)おんじ/左 こむろ/こばり/こうのす/はらいち 道」。道標を兼ねた庚申塔です。やや風化している。
(右)青面金剛の上半身。
191024 蓮田駅周辺の北側 022-3 191024 蓮田駅周辺の北側 022-4
(左)立派な邪鬼と二鶏、鶏はお互い見返っている。下に三猿。
(右)右側正手は、いわゆるショケラを下げる。

左の細い道路を150m北上して左折する。直ぐ左側に共同墓地がある。
191024 蓮田駅周辺の北側 023 191024 蓮田駅周辺の北側 023-1
(左)万年塀の奥が墓域。 入ると正面が墓地、右奥に無縁墓石がある。
(右)入ってすぐ左側には覆屋があり地蔵菩薩などが並ぶ。 右端に無縫塔が2基。無縫塔は僧侶の墓塔といわれているので、かつては住職がいたのだろうか?
ここには、嘉永二年の板碑があるはずだがない。狭い墓地なので丁寧に探したつもりだが見つからなかった。

西へ200mほど進み宇都宮線の手前で左折する。150mほど南下すると、右側にハンコ店がある。その手前を右折、直ぐ右側に覆屋がある。
191024 蓮田駅周辺の北側 024 東の庚申塔
東1路傍の庚申塔。鈴が下げてあり、扁額の金文字は「花蓮庚申社」と読める。
191024 蓮田駅周辺の北側 024-1 191024 蓮田駅周辺の北側 024-2
笠付型の庚申塔。 日月・六手青面金剛・邪鬼・二鶏・三猿。刻字は右側面「右 こうのす道/向 せうぶ道/左 志(濁点付)おんじ道」。左側面「寛政十一己未年(1799)二月吉日/向 いわつき道/武刕嵜玉郡上蓮田村」。日月は笠にある。
これも道標を兼ねている。今回訪れた庚申塔はほとんどが道標を兼ねている。 
石神裕之は『近世庚申塔の考古学』慶應義塾大学出版会で、区部の庚申塔を分析した結果、「道標銘のある庚申塔(庚申道標)の比率が18世紀後半以降急激に高まる」と報告している。 今回訪れた庚申塔でも同じ傾向がみられるようです。
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(左)青面金剛の上半身。 火焔つき輪の光背を持つ青面金剛像は珍しいです。
(右)紙垂と鳥居で妨げられてはっきりしないが、市HPによると邪鬼は二頭あるそうだ
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(左)賽銭箱奥の台座をのぞき込むと三猿があった。
(右)右側正手は、合掌し膝を曲げたショケラを下げる。

ハンコ店まで戻り右折し南下、100mほど行くと広い道路に出る。蓮田駅に通じる県道です。横断してすぐ左側の神社が愛宕神社である。
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東3にある愛宕神社、画像左が富士塚である。 鳥居は薄黄色だった、構造材が何であるか確認しなかった。
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(左)鳥居の正面に四角平面を三段に石積みした富士塚がある。石段が2か所あった。
(右)右側石段の下には「登山口」石碑がある。
その逆「く」字状に曲がった緩い石段を登る。中段にある踊り場には、屋根が掛かった柱状型石碑がある。 刻字は紙垂と賽銭箱で隠れているが、正面は「小☐嶽巌・・・」が読める。左側面「(右横書き)奉納 大正十四年(1925)六月/石工當所/島田米吉」、石工は地元の職人です。
さらに、頂部まで登る。
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(左)平坦な頂部には南西を向いて左に社、右に石碑がある。
(右)大きい石碑は石積み基壇上にあり、「浅間大神」とある。 市案内板によると、祭神の勝軍地蔵菩薩(神道では火をつかさどる神の迦具土神)が祀られているとのこと。
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石碑あたりから見た、南西方向の様子。 2か所の石段下り口右側には、それぞれ丸い石がある。
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(左)左側の丸い石。 銘文が正面に「經嶽」、左側「大正十四年(1925)六月」とある。
(右)右側の丸い石。切付はないが力石のように見える。
富士塚の麓を背後へ廻ったところ、ヒガンバナに似た黄色い花が咲いていた。
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数人の作業服の人たちが、すべり台など遊具の安全点検作業をしていた。

余裕があれば、さらに南方向へ行って東6丁目にある八幡神社の力石などを訪れることを考えていたが割愛し、今日の散策は終了とした。
JR蓮田駅は県道まで戻って左へ300m程で行きつく。 
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東口駅前広場北側にあるファミリーマートのイートインでコーヒーを飲んだ。ここは今朝乗車したバス停の前にあったので、目をつけていた。 
最近、巷でよく耳にするイートインという言葉を、70有余年の人生で初めて使用する。私はコンビニで飲食しても、「店内で飲食した」と云っていた。 この和製英語は、変な低減税率が廃止されたあとでも使われ続けるのだろうか?

歩数計は、20,061歩(自宅発着)。 西城沼公園入口バス停から蓮田駅東口までの所要時間は、約5時間50分だった。

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

蓮田駅周辺の北側 その3/4


2019年10月24日(木)  曇

その1/4では、西城にある天満神社の庚申塔群と力石、市役所向かい路傍の庚申塔などを訪ね、散策した(2019年11月23日登載)。
その2/4では、黒浜路傍の庚申塔を3カ所、真浄寺の板碑と力石、笹山路傍の庚申塔を2か所訪ね、散策した(2019年12月1日登載)。



笹山にある路傍の庚申塔から北西方向へ200m行くと、右側に稲荷神社がある。
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笹川にある稲荷神社。木造両部鳥居の扁額には、「正一位稲荷大明神」とある。 正面に木祠。 参拝。
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(左)木祠の左側は、高さ1mほどの土山になっている。 富士塚です。
(右)その南側、木立手前に自然石「佐☐比古の大神」、☐は「太」のようだ。 Wikiの「サタヒコ」によると、「佐田彦神と表記し、猿田彦神の別名」などとある。
上の平坦部には石碑があった。
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(左)南に面して「浅間大神」」、台石には山形の中に丸に岩の講印。
(中)西側に「小御嶽神社」。 「経ヶ岳」もある。
(右)裾の周囲にも石造物が並べてある。「烏帽子岩」、「三國第一山」、切付はないが力石らしい丸い石2個などもあった。

さらに北西へ300m行くと先ほど東へ曲がった十字路にでるので、そのまま直進して変形十字路まで戻って左折する。真浄寺を右手に見て400mほど西へ行くと信号機付き交差点に突き当たる。左折し県道154号線に出て直ぐの右側角に黒浜にある路傍の庚申塔がある。
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無人精米所駐車スペースの端にある。 
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(左)笠付型の庚申塔。 日月・六手青面金剛・邪鬼・二鶏・三猿。刻字は右側面「奉納庚申供養塔」、左側面「宝暦四甲戌(1754)十一月吉日/黒濱村」。
(右)青面金剛の上半身。
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(左)二鶏、邪鬼と三猿。
(右)右側正手はショケラらしいものを下げる。

県道を200m南下した黒浜南小(南)交差点の右前方に黒浜久伊豆神社の石造鳥居が見える。 右前には、社号標石「村社 久伊豆神社」が建つ。例により「村社」刻字は、モルタル充填し抹消してある。
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参道両側には高い樹木がそびえたつ。 正面に社殿がある。
蓮田市案内板があり、それには「ひさいずじんじゃ」と振り仮名があった。「くいず」では、なかったです。別に観光協会の七つの久伊豆神社めぐり説明板があり、「蓮田市には七つの久伊豆神社があり、すべて元荒川流域のみに分布しています。・・・」とあった。
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一対の狛犬。
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(左)拝殿 参拝。
(右)本殿。 画像では判りづらいが、幣殿(相の間)との間には太鼓橋が掛かっている。本殿高欄のほこ木など水平材が落ちており、保守が十分でないようだ。
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左右脇障子の彫刻
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参道左右には、伊勢参拝など多くの石碑が並んでいる。

さらに県道を南下して、なかよし橋という変わった名の橋を渡る。 なにか謂われがあるのでしょうか?
191024 蓮田駅周辺の北側 017 元荒川下流方向
元荒川の下流方向。 かつては荒川の本流だったが17世紀に隅田川へ付け替えられた。さらに明治末に荒川放水路が開削され流れをかえた。「春のうららの隅田川~」とうたわれた頃は、まだ荒川の清流がとうとうと流れていたのでしょう。
私が小学生のころバスで都内にある施設を見学して隅田川に近づくと、ガイドさんが「臭いので窓を閉めましょう」というと、引率の先生が「社会見学だから汚れた川を感じ取るのも授業だ」と開け放したのを思い出します。 まだ公害という言葉が一般的でない時代でした。

橋を渡った南詰めの右側に庚申塔があるが、先に南東にある庚申塔を訪れることとし左側の道路を入る。道なりに200m行った角に庚申塔がある。
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川島にある路傍の庚申塔。
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(左)日月・「庚申塔」・三猿。刻字は右側面「文化十五寅(1818)・・・/埼玉郡・・・/講中」、左側面「☐いわつき道 ☐力村中/世話人/・・・」。 風化が激しい。
(右)三猿。 サル達はそれぞれ勝手な方向を向いてまとまりがない。中央の聞かザルは後ろ向きにも見えるが、なにか寓意があるのだろうか?思い過ごしかな・・・。

なかよし橋南詰めの西側に県道を背にして石造物が三基ならんでいる。
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川島の石仏群。背後に見えるのがなかよし橋と県道。
左側が庚申塔。
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(左)笠付型の庚申塔。 日月・六手青面金剛・邪鬼・二鶏・三猿。刻字は右側面「庚申供養塔 南いわつき道/かふのす道」。左側面「維時天明五乙巳(1785)十一月吉日 此方/志(濁点付)おんじ道」。台石正面「☐主村中/世話人/・・・」。
(右)青面金剛の上半身。 風化が進んでいる。
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(左)邪鬼、二鶏と三猿。 小さめの邪鬼です。
(右)右側正手にはショケラのようなものを下げる。
右隣には小型の石柱が二基並んでいる。
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(左)そのうち左側の石柱は、中央に「奉拝禮[☐四国/☐東☐☐]百八拾八箇所供養塔」、左側面「東 志(濁点付)おんじ右一り」。 安政四巳年(1857)三月吉日の造立。
(右)右側は、中央「奉納西國百箇所爲二世安樂」、左右に「☐東/秩父」。明和六己丑(1769)十一月吉日の造立。「丑」は異体字。右側面「☐り南いわつき道」。 共に道標を兼ねた巡拝塔です。

右(西)に曲がった県道を元荒川の右岸に沿いに進むと、東北自動車道となる。高架下を通り抜けて200m先の左側、木が茂った高さ3mほどの小山がある。
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(左)川島にある富士塚と庚申塔。 樹木と下草で覆われている。
(右)手前(南東)にある庚申塔。 光背型の庚申塔。 日月・六手青面金剛・邪鬼・三猿。刻字は右側「奉造立庚申現當色☐堅固☐願成就所」、左側「于時宝永三丙戌(1706)二月吉祥日武刕埼玉郡巌築☐川嶋村」。 像の状態は良好でした。日・月の月は右側にある。
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(左)青面金剛の上半身。
(右)邪鬼と三猿。邪鬼は身体を正面に向けている。
富士塚の北西側は料理店の入り口になっていて、奥に「本日定休日」の立て看板があった。
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門柱近くには、自然石「日/月 仙元大☐・・・」(☐は「米」字に似る)、「三國第一☐」など石碑があった。ここが、正面かと思い笹をかき分け進んだが、枯れ枝やブッシュに阻まれ登頂を断念した。 再度、庚申塔がある南東側からアタック。石造物を撮影しながら笹藪をかき分け登ると、ようやく頂部の大きな石碑が見えるところまで近寄れた。
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(左・中)いくつかの石造物があった。
(右)頂部にあった「浅間大神」石碑、近くまで寄れないので腕を伸ばして撮影した。碑は南方向を向いているようなので、こちらが登拝道だろうか。笹が邪魔をして撮影もママならない、冬には枯れるのだろうか?

このあと、しばらく元荒川右岸沿いに進んでから、東地区にある庚申塔や富士塚を訪れる。

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プロフィール

柴二郎(男)

Author:柴二郎(男)
酒はダメです。
たまに、散歩します。
読む人もいないと思うので、思いついたままの独断を書いています。
投稿は適当にするけど、当分は過去の散策記録が主です。
武蔵国はここでは、東京都・埼玉県とその周辺の範囲です。

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