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(江戸川区)南東部中、古川親水公園バス停から瑞江駅まで その5/5


2023年6月27日(火)曇、数度雨粒が落ちてきた
都心最高気温29.6℃で湿度が高くむし暑かったが、太陽がいないのはなによりだ

その1/5は、江戸川6・二之江神社の力石2個、同・蓮華寺、同・行徳道標、江戸川5・長屋門を訪れ散策した(2023年7月22日登載)
その2/5は、江戸川4・真福寺、同・あみ弁、江戸川3・誠心寺の庚申塔群を訪れ散策した(2023年7月29日登載)
その3/5は、江戸川3・香取神社の富士塚力石群、同・浄興寺の石仏を訪れ散策した(2023年8月12日登載)
その4/5は、東瑞江2・安養寺、同・どうろくじん道祖神、同・第6分団火の見やぐら、同・地蔵堂の庚申塔群を訪れ散策した(2023年8月26日登載)



東瑞江2の地蔵堂前の篠崎街道をさらに北東へ500m行く。右側のJA東京スマイル鎌田支店手前の歩道脇に緑色の細長い鉄骨造覆屋があり、柱状型の道標が納まる。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 020 成田山不動明王道標 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2IMG_0492
江戸川1丁目路傍の成田山不動明王石造道標。中央あたりで折損補修したようだ。刻字は正面に大きく「成田山不動明王」、右側面「是☐り左江戸道」、左側面「文政九戌年(1826)十二月吉辰」。台石の正面も「右行徳/左市川」と、比較的近場の道標である。右側面「下鎌田村/須賀七郎左衛門/人名・・・」、左側面「下鎌田村/細☐茂三郎/人名・・・」。区HPによると総高163cmと大きいです。

少し戻り右折、北西方向の200mほどに東部公園がある。少し西寄りに東瑞江1・不動堂前の石造物がある。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2IMG_0517 東瑞江1・不動堂 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2IMG_0519
平屋建物が不動堂。右手前の覆屋には、長い袖の衣を着け合掌する石仏立像があった。その左、基壇上に石造物が3基並んでいる。左と右は、激しく風化している。 中は馬頭観音塔。刻字が中央に「種子・馬頭観世音・・・」、右側「安永☐年・・・」、左側「九月朔日」。右側面にも刻字があるが読めない。

左隣が豊田神社の玉垣となる。左端、境内南西角に石造鳥居がある。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022 豊田神社
東瑞江2丁目にある豊田神社。左の道路は瑞江駅西通り。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-1 手前の狛犬 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-1-1
参道を進むと一対の狛犬。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-2 本殿寄りの狛犬 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-2-1
社殿前にも狛犬が一対。これらは狛犬ではなく、すべて獅子です。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-3 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-3-1
南面する拝殿、奥に一段高い基壇上の本殿。参拝。
社殿の左に下鎌田の富士塚がある。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-4 正面・南面
区説明板があり、「この下鎌田の富士塚は、大正5年・・・下鎌田割菱八行講の人々によって築造・・・。高さ約3mで、全山ボク石(熔岩)で覆われ、正面には「く」の字形の登山道が・・・。」とある。区HPではさらに、「平成15年に境内の整備にともなって、同じ境内の現在地に移築しました」ともありました。
富士塚の正面(南側)。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-4-1 正面・南面 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-4-1-1 石祠
(左)「く」の字状の登拝道の先および左右に石祠がある。 この富士塚も江戸川3・香取神社と同様に、合目石はないようだ。
(右)中央の石祠、内には御幣。手前に右の小さい石祠へ行く道がある。右側に大きい石碑、中央銘文「冨士登山七十五度大願成就」がある。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-4-1-2 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-4-1-3 「□拾貮間…」
(左)左側の石碑、銘文は上に「(右横書き)御大典記念」。中の中央「講印・淺間大神」、右「昭和三年(1928)十一月」、左「八行講」。下は名前が2段で羅列、下段左端には「石工 遠田☐五郎」(画像が荒いので誤読しているかも)。 手前に置いてある、俵に乗ったネズミ像はなんでしょうね?
(右)その左下に上部欠損した細長い自然石石碑「□拾貮間 大正十一年(1922)十一月遷宮祭之時/東京築地/寄附者 ・・・」。☐は「貮」のようです。もし、長さ22間だとすると、約40mなので参道敷石の供養塔でしょうか?
右へ行き、左回りに一巡する。 
塚の南東側。 
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-4-2 南東面 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-4-2-5 東
(左)こちら側にも、右の小さい石祠へ向かう脇登拝道がある。
(右)左画像左端の大きい石碑下に力石がある、切付は「さし石」(「し」字にはキズらしき線がある。前後から読んだけど、無理かな)。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-4-2-1 八行講 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-4-2-3 小御嶽大神 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-4-2-4 烏帽子岩・食行身
(左)参道右の「講印・八行講」石碑、右側に「下鎌田」、左側「氏子中/大正十三年(1924)/十月築山」。「大正13年10月築山」とあるのは、大正12年の関東大震災で壊れたが補修したということでしょうか?
(中)隠れているが、右上に「小御嶽大神」石碑がある。
(右)その奥、小石祠右下に頭部が見える、楕円形石碑「烏帽子岩/□祖食行身」。
塚の北西側。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-4-3 大沢崩れ 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-4-3-1
(左)平らなモルタル塗り部分は、区説明板に云う「塚の背面は大沢崩れを模した・・・」所でしょう。実際の大沢崩れは西面にあり、山腹が深くV字状にえぐられている。秀麗なる富士山の大きな傷で、日々崩落し先端は山頂近くまで進んでいます。
(右)その左に小型石碑「冨士淺間神社」。左上の丸い石は力石に見えるが、切付はないようだ。
塚の西側。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-4-4 西面
石碑などはないが、裾に力石が4個あった。左から順に見ていく。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-4-4-4 西右4 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江22 022-4-4-1 西右1、六拾
(左)円形、下半部が埋設。切付「(右横書き)奉納 三十」。
(右)切付「(右横書き)奉納 六拾☐」。ここでは最も重い。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-4-4-2 西右2 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-4-4-3 西右3
(左)楕円形です。切付「奉☐ 五拾五貫目余」、珍しく左から「奉」です。
(右)頂部が白い。浅い切付で、「三拾九貫余」。右下にも切付があるが読めない。 
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 022-5
手水鉢にネコがいた。白黒のハチワレというのでしょうか?寝ていたのでこっそり撮ろうとしたが気付かれてしまった。私を警戒したが、逃げはしなかったので失礼して1枚。

鳥居を出て右折、瑞江駅西通りを北西へ400m行く。左角に「今井自動車教習所」広告塔がある信号付十字路を右折すると、すぐ左側が瑞江駅南口広場である。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 023 瑞江駅
地下鉄都営新宿線・瑞江駅。

歩数計は、14,750歩と、かなり少なめだった(自宅発着)
散策時間は、約5時間5分(古川親水公園バス停から瑞江駅まで)

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

(江戸川区)南東部中、古川親水公園バス停から瑞江駅まで その4/5


2023年6月27日(火)曇、数度雨粒が落ちてきた
都心最高気温29.6℃で湿度が高くむし暑かったが、太陽がいないのはなによりだ

その1/5は、江戸川6・二之江神社の力石2個、同・蓮華寺、同・行徳道標、江戸川5・長屋門を訪れ散策した(2023年7月22日登載)
その2/5は、江戸川4・真福寺、同・あみ弁、江戸川3・誠心寺の庚申塔群を訪れ散策した(2023年7月29日登載)
その3/5は、江戸川3・香取神社の富士塚と力石群、同・浄興寺の石仏を訪れ散策した(2023年8月12日登載)



浄興寺の山門を出て左(北東)へ200m行くと五差路となる。直進して公園の先を左折すると次の安養寺だが、昼食を確保するため寄り道する。左折して北西へ行き、右角にあるスーパーヤマイチで弁当を買った。前面する道路を右(北東)へ少し行くと児童公園がある。先で公園に沿い右折(南)する。遊歩道を100mほど歩くと右が山王神社境内となる。その手前を左折して直ぐ左手の白い塀が安養寺である。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 014 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 015 安養寺
(左)遊歩道。途中から右側が水路となる、左側は住宅が迫っている。
(右)東瑞江2丁目にある安養寺。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 015-0 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 015-1
正面本堂、参拝。石柱門内すぐ右に墓地へ行く通路があり、その右側に石仏が2基並ぶ。 右画像の中央奥に門が見える。
左側は板駒型の庚申塔
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 015-2 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 015-2-1 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 015-2-1-1
(左)日月・六手青面金剛・二鶏・邪鬼・三猿。刻字は右側面「奉造立靑面金剛像諸願成就子孫繁栄所」。左側面「寶暦三癸酉歳(1753)三月上四日 願主/及川氏」。彫像の状態は良好です。
(中、右)青面金剛の上半身。胸にドクロの瓔珞をつける。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 015-2-2 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 015-2-2-1
雌鶏と雄鶏、目つきが怖い。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 015-2-3 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 015-2-4
(左)邪鬼と三猿。 
(右)吊り下げたショケラ。
主尊顔だち、持物、二鶏・邪鬼の顔、三猿の姿など香取神社の庚申塔とよく似ている。同神社の紀年銘は寛延4年(宝暦元年)だったので、これは2年後の造立です。同じ石工あるいは工房の手になるものでしょうか?
右側の柱状型。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 015-3
正面中央に大きい刻字「弘法大師」、左右側「南葛新四☐八拾八ヵ所之内/札所第貮拾九番 安養寺」。明治43年(1910)12月の造立です。これは供養塔でしょうか、それとも単なる標石でしょうか?

門を出て正面の道路を南下すると、直ぐ右に下鎌田さくら公園がある。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 016 さくら公園 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 016-1
ベンチで昼食、ほかに誰もいなかった。上州名物鶏めし重、430円込。蓋の帯にあった「こだわりのタレ」が少し染み出していた。両脚を伸ばして冷水を飲み、30分近く休息。

引き続き150mほど南下すると両側が歩道の道路に突き当たるので、左折する。篠崎街道と云うらしい。この街道沿いを数ヵ所訪れ散策することになる。一つ目は100mほど先の左側、白壁土塀の屋敷の門前右に覆屋がある。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 017 内山家道祖神 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 017-1
東瑞江2丁目にある、どうろくじんの道祖神。柱際にワラジが下げてあるのは、旅行の安全や足の病気などで願をかけ、叶ったお礼でしょうか?
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 017-2
笠付型。刻字は「種子・奉☐造道六神□□」、下部右「全」、左は「攸」かも。 区説明板「史跡 道祖神」には、「…当道祖神の建立年月は不詳であるが、この辺の人たちの、深い信仰を集めていた神といわれ、屋号を「どうろくじん」と呼ばれる内山家が、大切に保存してきたものである」とある。

さらに街道を北東へ100m余り行くと、右側に江戸川消防団第6分団1部資材格納庫がある。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 018 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 018-1
正面シャッターのエンブレム。エンブレムの表記によると「消防団」は、英語では「ボランティア」らしい。
横の道路から裏へ回り、火の見やぐらに近寄る。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 018-2 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 018-2-1
アングル単材の4本柱、リング付き丸鋼ブレース構造。上部構造の屋根と望楼は、円形平面で装飾もなくシンプルな造り。半鐘と下にスピーカーがある。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 018-3 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 018-4
(左)柱脚部。
(右)やぐら中間位置の接合部とブレース。
主材のアングル断面は十分あると思われる。接合はいわゆる中(ちゅう)ボルトのシングルナット。ナットの緩み、リングの変形はないようだ。ブレースのたるみはない、端部フレア溶接長が両側5dに対しチョットと思うが実質問題ない。下地の錆止めが見えているが、発錆はあまりないようだ。最下段部は4面ともブレース構造であり、使用上不便だが耐力上確実です。 ただし以前から記しているが、中心リングの使用は剛性上および耐力上適切でない。

赤い屋根の地蔵堂。右隣が第6分団。左隣は小松川警察署東瑞江交番。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 019 
東瑞江2丁目にある地蔵堂、「地蔵堂」の扁額がかかる。戸袋の簓子下見板張(ささらこしたみいたばり)が美しい。歩道に面して庚申塔が左に2基、右に1基ある。
まず、堂内にある庚申塔から見ていく。格子戸が閉まっているので、賽銭入れの穴からレンズを差し込んだ。その姿は賽銭泥棒と疑われそうだが、幸い隣が交番なので他人の目を気にせず撮影できた。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 019-0 堂内 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 019-0-1
(左)正面に石仏が3基並ぶ。左は如意輪観音座像、中は本尊と思われる地蔵菩薩立像。
(右)右が観音庚申塔です。手前に大きな銅製の蓮花が供えられていました。上段は立像が4体、二段目は座像が5体、三段目は立像が5体、四段目は座像が5体、五段目は立像が5体並んでいる。一部像は隠れているが、それぞれ持物や姿が異なる。
区説明板及びHPによると、「高さ119cm、横50cmで、34体の観音が7段に並び、・・・8段目には中央に三猿、両側に脇侍の童子が2人向き合って・・・。享保5年(1720)に、秩父34ヵ所の観音霊場を巡拝した旧下鎌田村念仏講中35人によって造立された」などとある。
多分この34体の観音像は、それぞれが秩父霊場34ヵ所の本尊を現しているのでしょう。なぜ、庚申塔としたのかは、分かりません。念仏講中と庚申講中の村人が重複していたのでしょうか?
外に並ぶ3基を左から見ていく。
堂前左の庚申塔。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 019-1 左1 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 019-1-1
(左)日月・六手青面金剛・ニ童子・ニ邪鬼・三猿。二鶏はいないようだ。刻字は右側面「天保十己亥年(1839)」、左側面「正月吉祥日」。火焔光背。手首・足首などに蛇が巻きついている。彫像の状態は良い。
(右)主尊は鼻が欠けているが、眼や口元など温和な表情です。胸にドクロの瓔珞をつける。腰帯(ベルト)は3匹の蛇のようにも見える。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 019-1-2 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 019-1-3
(左)二童子と二邪鬼。二邪鬼は顎の下に腕を置き、身体を正面に向けている。
(右)二邪鬼と台石の三猿。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 019-1-4
右側正手のショケラ。顔などが欠けているのは残念。
中の庚申塔。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 019-2 左2 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 019-2-1
(左)日月・六手青面金剛・二鶏・邪鬼・三猿。刻字は右側面「奉納青靣金剛童子 庚申/講中」、左側面「延享五戊辰歳(1748)二月六日」。「講」字は「構」のようだ。
(右)主尊の顔面は破損している、頭部に蛇とドクロ。胸にうっすらとドクロの瓔珞が見える。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 019-2-2 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 019-2-4
(左)二鶏、邪鬼と三猿。猿の顔は皺が強調されている。
(右)右側正手はショケラを持つ。手首に蛇が巻きついている。
右の庚申塔、最も大きい。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 019-3 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 019-3-1 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 019-3-1-1
(左)日月・六手青面金剛・邪鬼・二鶏・三猿。彫像は全体として良い。刻字は右側面「文化元甲子(1804)七月朔日」、下部左に「石工明石幸助」と石工銘を残す。左側面に刻字はないようだ。
(右)主尊の顔面が破損している
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 019-3-2 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 019-2-3
(左)邪鬼、下に二鶏。塔の下部は少し風化している。
(右)三猿。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 019-3-3
右側正手はショケラを持つ。

篠崎街道沿いをもう一カ所寄ってから、北へ向かう。

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

(江戸川区)南東部中、古川親水公園バス停から瑞江駅まで その3/5


2023年6月27日(火)曇、数度雨粒が落ちてきた
都心最高気温29.6℃で湿度が高くむし暑かったが、太陽がいないのはなによりだ

その1/5は、江戸川6・二之江神社の力石2個、同・蓮華寺、同・行徳道標、江戸川5・長屋門を訪れ散策した(2023年7月22日登載)
その2/5は、江戸川4・真福寺、同・あみ弁、江戸川3・誠心寺の庚申塔群を訪れ散策した(2023年7月29日登載)



誠心寺の門を出て左20mの十字路を右折し東南へ行く。先ほどの旧江戸川沿いの都道(篠崎街道)に出るので左折、100m行くと左が香取神社である。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011 香取神社
江戸川3丁目にある香取神社。境内は都道より低い位置にある。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-1 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-1-1
一対の狛犬。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-2 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-2-1
鉄筋コンクリート造の拝殿、奥に本殿。参拝。
社殿右から奥へ回ると今井の富士塚がある。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-3 正面 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-3-1 石祠
(左)塚は全面が黒ぼくや石で覆われている。正面にイナズマ状の登拝道がある。石段を上ると中段に「淺間大神」碑があり、その手前で道が左右に分岐している。画像右端のシュロの奥にある大きな石碑は「講印・大願成就」。
(右)登拝道を左へ行くと頂部に石祠があった。右側面に「昭和五年(1930)四月☐日」と刻まれている。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-3-2 
中段の「淺間大神」石碑。前の道を右に行くと「小御嶽大神」碑がある。道はいくつも枝分かれしているようだ。
富士塚の麓を左回りに見ていく。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-7 東南面 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-6 東北面
(左)南東側。画像中央あたりの細長い石碑が「小御嶽大神」。
(右)北東側。北側は急傾斜の石積み。右端に見えるのは庚申塔
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-5 北西面
北西側。こちらにも登拝道がある。一方通行の下山道でしょうか?
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-4-0 西面 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-4-1 食行身禄
(左)西側。画像左端に大きい石碑「講印・大願成就」がある。
(右)その右上に「元祖 食行身禄」石碑がある。下には何故か石亀がいる。
西側には力石が3個埋め込まれていた。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-4-1-2 亀下 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-4-2 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-4-3 裾右
(左)石亀下の力石。切付「・・・貫余」が読める。
(中)塚裾の右寄りの力石、白カビが付いている。切付「(右横書き)奉納 さし☐」、右側は読めない。
(右)裾の右端にも「三拾☐貫」の力石
この富士塚は、ぼく石も踏み石もしっかり固定してあり、安心して登拝できた。合目石はなかった。 区説明板には「・・・今井の富士塚は、旧上今井村の上今井割菱八行講によって、昭和5年に築造されました。高さ約2.5mで、頂上に石祠をまつり、・・・」とあります。
富士塚の左側に駒型の庚申塔がある。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-4 西面 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-8
種子・日月・六手青面金剛・二鶏・邪鬼・三猿。種子はウン(青面金剛)のようだ。刻字は右側面「青靣金剛像」、「靣」字の囲みの内は「日」に見える。左側面「寛延四辛未曆(1751)正月吉日」。彫像の状態は良好だが、全体が薄くコケが生え緑色をしている。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-8-1 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-8-1-1
青面金剛の上半身。火焔光背の主尊はドクロの瓔珞をつけている。尊顔は破損などないようだ。額の三眼も見て取れる、頭上に何かが彫り出されているが判らない。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-8-2 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-8-3
(左)二鶏と邪鬼。鳥類の眼は円形が一般的だと思うが、この鶏は人間のように細長いので鋭く感じる。
(右)三猿。両側の猿は、女性がよくしている横座りのようだ。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-8-4 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 011-8-4-1
右側正手は、ショケラの束ねた髪の毛を掴んで吊り下げている。ショケラは女人像だという説があります。

境内を出た左隣に江戸川消防団第七分団本部がある。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 012 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 012-1
残念ながら火の見やぐら、ホース干しはなかった。一応、エンブレムを撮影。

直ぐ先で左折し北西へ行くと突き当たるので右折する。道なりに約100m行くと幼稚園がある。園の塀を左手にして進むと浄興寺の山門に至る。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 013 浄興寺 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 013-1
江戸川3丁目にある浄興寺。左の塀は幼稚園。鉄筋コンクリート造の本堂にて参拝。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 013-2 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 013-3
(左)山門を入り直ぐ左側。石仏が2段4列に並び右に「浄興寺無縁塔」が立つ。
(右)手前から2列目右端に、一面六手の浮彫り立像がある。刻字は右側「奉造立當良中與龍誉/源☐」、左側「宝永三丙戌(1706)十月朔日」。多くの庚申塔が備えている、種子、日月、邪鬼、ショケラ、二鶏や三猿などがない。主尊は不明とします。

この後、北東方向へ行く。

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(江戸川区)南東部中、古川親水公園バス停から瑞江駅まで その2/5


2023年6月27日(火)曇、数度雨粒が落ちてきた
都心最高気温29.6℃で湿度が高くむし暑かったが、太陽がいないのはなによりだ

その1/5は、江戸川6・二之江神社の力石2個、同・蓮華寺、同・行徳道標、江戸川5・長屋門を訪れ散策した(2023年7月22日登載)



江戸川5の長屋門からさらに東へ100m行くと、左に真福寺がある。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 007 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 007-1-1
江戸川4丁目にある真福寺。左門柱の直ぐ内側、塀際に庚申塔が2基並ぶ。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 007-1
まず、参道正面にある鉄筋コンクリート造の本堂で参拝。
参道左(西)側にも、草花に隠れていくつかの石仏があった。
2基のうち左側は、駒型の庚申塔
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 007-2 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 007-2-1 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 007-2-1-1
(左)日月・六手青面金剛・二鶏・邪鬼・三猿。刻字は右側面「寛政十二庚申(1800)閏四月建之」。「政」は異体字。左側面「猿田彦大神 大正五年(1916)十一月改起之」。庚申のアタリ年の造立です。「彦」は「彡」が「久」の異体字。「起」は「走」+「巳」の旧字体。猿田彦像は木の棒を持つ男神像が多いと思うが、青面金剛像もあるのでしょうか?「改起」の意味は解らないが、私は左側面は、追刻だと思う。神の名を大文字で加えることで、「この仏さんは皆さんのお仲間ですよ」と云って、神道からの圧をかわしているのだと思います(独断)。 なお、『日本石仏事典 第二版』庚申懇話会編には「・・・猿田彦大神が庚申さんになったのは山崎闇斎によって説き出されたからである。・・・江戸中期以降明治にかけて庚申猿田彦説は民間に広く浸透した」とあります。
(中、右)青面金剛の上半身。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 007-2-2 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 007-2-3
(左)二鶏と邪鬼。
(右)台石の正面に三猿、白カビで覆われている。左右側面には人名が連記。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 007-2-4
右側正手が下げているショケラ。
2基の右側は、笠付型の庚申塔
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日月・六手青面金剛・二鶏・邪鬼・三猿。刻字は右側面「享保三戊戌天(1718)閏十月十六日」。左側面「奉造立開眼供養導師眞福寺 結衆/敬白」。上枠に瑞雲に乗る日輪と月輪がある。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 007-3-1 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 007-3-1-1
青面金剛の上半身。首からドクロの瓔珞を下げている。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 007-3-2 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 007-3-3
(左)二鶏と邪鬼。邪鬼の浮彫りした頭部は、剥落している。
(右)三猿。

50m行った左に、「舟宿 あみ弁」の自立看板が立っている。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 008 あみ弁
江戸川4丁目にあるあみ弁。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 008-1 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 008-2
玄関前左に自然石の庚申塔がある。正面刻字「青靣金剛」。「剛」字は、ヘンが「罡」の異体字。右側面「右行徳道」、左側面「左江戸道」と道標を兼ねている。右画像の青紫色をした花の名を一応調べたが、判りません。画像的には背景をボケさせると良かったが、そこ迄気が回らなかった。

道路の先・東端は、コンクリート壁に突き当たる。旧江戸川のいわゆるカミソリ堤防です。右岸道路の歩道を左(北)へ200m行くと信号がある。右折し新中川に架かる瑞穂大橋を渡る。すぐ下流で左(東)からの旧江戸川と合流している。
橋を渡ると都道右側と護岸の間が工事中で掘削してあった。お知らせ看板「旧江戸川(江戸川4丁目地区)築堤工事」がある。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 009-1 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 009-1-1
看板によると、杭周囲の地盤改良を行い、既存RC護岸を耐震補強してから天端近くの位置まで盛土することでスーパー堤防化する計画らしい。範囲は約400m先の今井橋まで。総工事費は4億円超、うち都費が7割強とあった。本当は合流点から下流の右(西)岸をスーパー化した方が、氾濫・破堤防止効果が高いのではと素人ながら思うけど、現況では非常に難しいことだろうなと想像できます。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 009-2 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 009-2-1
(左)都道から南方向を撮影。画像の上が旧江戸川で下方からの新中川とT字状に合流し、上方へ流れる。対岸に見える市街は千葉県市川市。
(右)施工範囲東端の今井橋。

都道は直ぐに新今井橋の交差点となる。高架下を横断して斜め左方向の細い道路を下る。100mほど行った左側の生垣が誠心寺である。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 010 誠心寺 
江戸川3丁目にある誠心寺。境内右(北)側に建物があるが、どこに本尊がおわすのか、判らなかった。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 010-1 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 010-1-1
(左)正面の駐車場奥、墓地手前左の植栽内に「南無阿弥陀仏」石板を掲げた、石造小建物があった。参拝。
(右)右脇に無縫塔があり、その通路右に石仏群がある。マキの下に4基並んでいる。左画像の中央あたりです。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 010-2 左1 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 010-3 左2
(左)左端、板碑型。刻字は中央「種子・庚申供羪經曰」、左右側に五文字が4行。下段に人名が列記。右枠「寛文十三癸丑年(1673)」、左枠「八月廿三日」。最下に「(右横書き)敬白」。区HPには「列記された造立主名は、ほとんど女性です」とある。
(右)左から2基目、板碑型。刻字は中央「種子・梵字が6文字」、右側「経曰 天下和順日月清明風雨以時/…」、左側「今日結衆等庚申二座成就/為現當二世所願円満也」。下は二段に人名。右枠「□寛文八戊申天(1668)」、左枠「九月廿四日」。☐は「旹」に似ているが横棒がない。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 010-4 左3 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 010-4-0
左から3基目、笠付型。塔身が円柱である。日月・六手青面金剛・邪鬼・三猿。やや風化している。笠に線彫りの日輪と月輪がある。刻字は主尊右脇から左回りに、「庚申一座之供養」、三段にわたり人名が列記、ほとんどが「お」で始まる平仮名であり女性らしい。 右画像、背面あたり。「誠心寺六世☐誉代」、ここも三段に人名が列記、ほとんどが平仮名であり女性らしいが右端上段に「市右衛門」が読める、その右・主尊左脇には「元禄十丑天(1697)十一月日」。蓮華座の正面に「願☐」。 塔身が円柱をした庚申塔で最近訪れたのは、中野区にある宝仙寺の2基(2022年11月5日登載)と東運寺(2023年4月2日登載)が記憶にある。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 010-4-1 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 010-4-1-1
青面金剛の上半身。細部が不明瞭です。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 010-4-2
邪鬼と三猿。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 010-5 左4
左から4基目、笠付型。通路側の正面「寛政十二庚申(1800)七月三日」。左・右側面に刻字がありそうだが全く読めない。本来画像の側面のどちらかが、正面なのでしょうか?

このあと、旧江戸川沿いの都道へ一度出て、江戸川3・香取神社を訪れてから北東方向へ行く。

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

(江戸川区)南東部中、古川親水公園バス停から瑞江駅まで その1/5


2023年6月27日(火)曇、数度雨粒が落ちてきた
都心最高気温29.6℃で湿度が高くむし暑かったが、太陽がいないのはなによりだ

都バス・古川親水公園バス停から江戸川6・二之江神社の力石2個、同・蓮華寺、同・行徳道標、江戸川5・長屋門、江戸川4・真福寺、同・あみ弁、江戸川3・誠心寺の庚申塔群、同・香取神社の富士塚と力石群、同・浄興寺、東瑞江2・安養寺、同・どうろくじんの道祖神、同・第6分団火の見やぐら、同・地蔵堂の庚申塔群、江戸川1・成田山道標、東瑞江2・豊田神社の富士塚と力石群ほかを訪れ、都営新宿線・瑞江駅まで散策した



メトロ東西線葛西駅中央南口から出ると、左側に都バス⑤乗り場がある。1時間に5本ほどある新小岩駅前行きに乗車、3つ目の古川親水公園バス停で下車。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 001
少し戻り右へⅤ字状に折れる。工事中の小学校を過ぎた左側に神社がある。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 002 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 002-1
江戸川6丁目にある二之江神社。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 002-2 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 002-2-1
石造鳥居を入ってすぐ左に力石がある。切付は中央に大きく「さし石」、右側「金杉藤吉」、左側「(右斜め横書き)世話人」、「石川…(4名連記)」。江戸川区郷土資料室の解説シートNo.2-8『江戸川区内の力石』には、「…2ヵ所以上に名を残しているのは、…「金杉藤吉」こと山口藤吉。…」(ネットで拾ったpdfファイル)とあるようだ。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 002-3-1 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 002-3-2
参道に一対の狛犬。右側獅子の額が欠損している。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 002-4 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 002-4-1
拝殿と本殿。参拝。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 002-5 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 002-5-1
拝殿の左、石造塀近くにも力石があった。切付は中央に大きく「(右横書き)奉納 さし石」、下に「當村 小音/定吉」。右側に小文字で「…/☐吉/福太郎」。「大西」、「□次郎」など。左側「(斜め右横書き)世☐人」、「嘉七/☐右エ門/善☐/☐右エ門」。例により、私の読み取りは信用ならない。
左画像右上、北西の脇参道から出る。石造鳥居の先は橋で下をのぞくと、浅い水路をきれいな水が流れている。古川親水公園というそうだ。江戸川区HPには、「昭和48年、都会の中では回復不可能と思われていた「清流」がよみがえり、…国内はもとより世界各国で大きな反響をよんだ画期的な国内の親水公園第1号です」と説明がある。

右岸の散策路を下流(東)へ歩く。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 002-6 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 003
(左)境内の北東角に区保護樹のケヤキ。柵の向こうが散策路。
(右)途中ヤマモモの実が落ちていて、舗道に赤い沁みがいっぱいあった。しゃがんで撮影していると、背中にポトリと落ちてきた。

二之江コミュニティ会館前の橋を渡り左岸の道路に出る。この後しばらくは、水路沿いに東へ進み数ヵ所訪れる。まずは、50mほどにある蓮華寺です。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 004 蓮華寺 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 004-1
江戸川6丁目にある蓮華寺。本堂で参拝。洪水対策でしょうか、鉄筋コンクリート造の高い基壇上に建つ。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 004-2
門内直ぐ右側に石造物が7基並んでいる。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 004-2-1 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 004-2-2 左4
左から順に見ていく。左端は宝塔。「光明☐結衆」で始まる文が4行刻字。 2基目は、地蔵菩薩立像。右側に「…法師霊位」と刻字がある。 3基目も、地蔵菩薩立像。左側に「…信士」とある。 右画像の4基目は、座像。手指が欠損し印相がハッキリしないが、少し前のWBCでの流行語、ペッパーミルのように上下に重ねているので智拳印に見える。白毫がないが大日如来でしょうか?刻字は上段に「月山/湯殿山/羽黒山」、二段目に「善光寺/西國/坂東/秩父」、三段目に「信士・和尚・信女・清女・教士」など戒名らしきが6行並ぶ、四段目にも「信女」が2行。 
左から5基目が庚申塔
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 004-2-3
日月・六手青面金剛。二鶏・邪鬼・三猿はいないようだ。刻字も見当たらない。もしかして、庚申塔でないのかも知れない。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 004-2-3-1 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 004-2-3-2 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 004-2-3-4
(左、中)主尊の上半身。胸にドクロの瓔珞をつける。頭上左に人頭らしきが見えるのは、私の錯覚でしょうか?
(右)右側正手は、いわゆるショケラを下げる。
6基目は、観音菩薩立像。右側に「信士菩提」刻字がある。 7基目は、刻字が正面「種子・四國第/十一番 藤井寺寫」、右側面「四國 第十六番/清水寺寫 蓮花寺」、左側面「興教大師・・・」。笠付であったようだが、失われたらしい。
ほとんどは、墓石あるいは供養塔らしいです。

200mほど東の右側に区説明板「二之江の行徳道石造道標」がある。その下、道路と散策路との間に丸い石がある。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 005 行徳道道標 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 005-1
(左)画像右上の道路を奥から来た。
(右)正面に大きく「行徳道」、右側「是ヨリ/左☐」。左側「田中☐☐衛門」。なお、区HPの「二之江の行徳道石造道標」には、「高さ67cm、回り152cmの丸い自然石で、正面には「是ヨリ左り行徳道」、左面には「田中孫右衛門」とあります」と説明されている。

水路は直ぐ先で途切れる。さらに道路を少し行った右、奥まったところに長屋門があった。
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 006 230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 006-1 
230627 江戸川区南東部中の江戸川3-6、東瑞江2 006-2
江戸川5丁目にある長屋門。門扉の左右には板の縦格子戸・無双窓がある。夜間など開門せずに来訪者を確認できた。

この後も引き続き東へ行き、あと2カ所訪れてから旧江戸川を渡る。

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プロフィール

柴二郎(男)

Author:柴二郎(男)
酒はダメです。
たまに、散歩します。
読む人もいないと思うので、思いついたままの独断を書いています。
投稿は適当にするけど、当分は過去の散策記録が主です。
武蔵国はここでは、東京都・埼玉県とその周辺の範囲です。

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