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(豊島区)池袋駅周辺の庚申塔・力石などを東長崎駅から下板橋駅へ(その2/4)


2018年9月11日(火)曇。 都心最高気温23.9℃と涼しい。

その1/4は、東長崎駅から小城山の馬頭観音、東長崎4路傍の庚申塔、長崎神社の力石をなどを訪れ、散策した(2018年9月30日登載)。



長崎神社を出た向かいは、西武池袋線椎名町駅である。 次の金剛院は、長崎神社のすぐ東隣にある。江戸時代には長崎神社の別当寺であったことが想像できる。
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(左)奥に赤色の山門が見える。
(右)本堂。 参拝。
参道右(東)側に丸石に囲まれた刈込植栽がある。その奥に宝篋印塔、五重石塔などと共に板碑がある。
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(左)三基の板碑などが、整然と並んでいる。
(右)中央の板碑。 大きい大型板碑の上半部の三角部を少し残し切り取ったような形状だ。上部左右に円が二つある、日・月のようだが画像拡大してもどちらが月か判別できない。中央の蓮座上の種子は、サ(観世音菩薩)だろうか? 武蔵国の板碑は山形下に二条線があるがこれにはない。また蓮座はふっくらした蓮弁のみで蓮実がない。 いわゆる板碑(板石塔婆)ではないのかも知れない。私は見た瞬間、太陽の塔の胸にある顔に似ていると感じた。
背後の左右にも板碑がある。
左側の板碑。
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蓮座上に主尊種子のアーンク(胎蔵界大日如来)、右脇侍種子はカ(地蔵菩薩)、左脇侍種子はサ(観音菩薩)のようだ。それぞれ月輪(がちりん)に納まる。下段の銘文は、中央「逆修供養・・・」、右側「永享十二年(1440)」、左側「六月十四日」、中央銘文の左側に花瓶が線彫りしてある、右側にもありそうだが風化してわからない。
右側の板碑。
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図像板碑。 金剛院H.Pによると主尊は、阿弥陀如来だそうです。 頭上からは筋光が二本の吹き寄せで放たれている。蓮座の下には前机と三具足が見て取れる。
刈込周囲の丸石のうち正面のものは、切付があり力石らしい。
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(左)切付は、「☐☐春☐/源忠徴/☐之。 左行の文字は、拮之か?
(右)ヒガンバナ(彼岸花)のつぼみのようだ。 つぼみは、葉も何もない地面から、突如として伸びてくる。
山門の内側、すぐ参道左(西)側に石造物が並んでいて庚申塔もある。
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(左)画像の右から二基目が庚申塔。 右端には自然石の「馬頭観世音」、「明治十五年/五月吉日」がある。
(右)笠付型庚申塔。 日月・六手青面金剛・二鶏・邪鬼・三猿。刻字は右側面「種子・宝永四丁亥年(1707)/十一月廿三日」、左側面「陽雲信士/秋本☐五右衛門/・・・」。戒名が刻まれた庚申塔は、私には記憶がない。墓石だろうか?戒名の上には種子らしいものがある。
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(左)青面金剛の上半身。
(右)二鶏、邪鬼、三猿。 二鶏は線刻が多いが、これは薄く浮き彫りしてある。

山門を出て左にある中央環状線下をとおり、東方向に向かう。
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(左)池袋第三小学校校庭門左の「慈母ふくろう」。 池袋はやはりフクロウということでしょうか。
(中、右)道路端で咲いていたフヨウ。
校庭先で右折し、西武池袋線の線路沿いに左(東)へ、山手線に架かる高架歩道橋を渡りさらに東へ行く。
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歩道橋から右(南)方向を撮影、中央の切妻屋根は目白駅。

明治通りを渡ると、すぐ左(東)側が鬼子母神西参道であり、突き当りが鬼子母神境内となる。
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(左)参道入口の「鬼子母神西参道」と掲げた路上の門。
(右)西側の入り口。 真正面が妙見宮。
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画像奥の大きい建物が拝殿、中央が本殿。右端の小さなお堂が妙見宮。本殿と背中合わせなので正面は、逆の西を向いている。 赤い鳥居と鈴があり神社のようで神仏習合の名残りだろうか。奉納幟旗は「南無妙見大菩薩」でした。 なお、妙見宮も鬼子母神堂の附(つけたり)として国の重要文化財指定建築物だそうだ。
鬼子母神堂の正面に回る。
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拝殿前の狛犬一対。
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東面するお堂(本殿)。 参拝。
豊島区H.Pによると、「鬼子母神堂は、本殿の前面に相の間を介して拝殿が接続している、いわゆる権現造と呼ばれる複合建築である。・・・正しくは「鬼」字は、1画目の点(ツノ)のない文字・・・」などの説明がある。 なお、このお堂は、のちほど訪れる法明寺の境外堂だそうです。
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(左)画像左側、樹の周囲に力石が置いてある。右端の建物は拝殿(礼堂)。
(右)長円石が8個あった。
左端から右へ順に見ていく。
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(左)左端。切付はないが他の力石と並べてあり、大きさ・表面の平滑さから力石と見ても不思議はないと思う。
(右)左から2個目。切付は「奉納(右横書き) 五拾貫目余」、右側「☐川八幡前」、左側「中村弥兵衛」。 ☐字は「湶」にも見えるが「深」らしい。
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(左)左から3個目。切付「奉納(右横書き) 四拾七貫目」、右側「㚑岸嶌」、左側「八町堀」、下段に名らしき切付が並んでいる。㚑は「霊」の異体字。
(右)左から4個目。細長い形をしている、切付「奉納(右横書き) 四拾五貫目余」、右側「☐川八幡前」、左側「中村弥兵衛」。左2個目と同一人による奉納。
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(左)左から5個目。切付「奉納(右横書き) 五拾貫余」、右側「元飯田町/堀留」、左側「金治郎/金蔵/直吉/又吉/魚浜/大金」。
(右)左から6個目。切付「奉納(右横書き) 力石」、左側「文政二年(1819)」、下段「元飯田町/堀留/万☐店/金蔵/金治郎」。
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(左)左から7個目。ざらついた石肌、切付「奉納(右横書き) 五拾三貫目☐」、右側(多くの名が刻まれている)、左側「田☐町・・・/・・・」。下段にも多くの名が刻まれている。 この中では最も重い。一貫目は約3.75kgなので約199kg、すごいですね。
(右)左から8個目。切付「三拾五☐」。
参道左(南)側には大イチョウがある。
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東京都説明板があり「樹高30m、幹周8mの雄株で、都内のイチョウでは、麻布善福寺のイチョウに次ぐ巨樹であり、樹勢は盛んである。」などとある。
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境内入り口近く、左右に石造金剛力士像が立つ。
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境内入り口から振り返り、参道と奥の拝殿を撮影。

東方向にある本納寺へ三猿がある石塔を訪ねる。

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

(豊島区)池袋駅周辺の庚申塔・力石などを東長崎駅から下板橋駅へ(その1/4)


2018年9月11日(火)曇。 都心最高気温23.9℃と涼しい。

東長崎駅から小城山の馬頭観音、路傍の庚申塔、長崎神社の力石3個、金剛院の板碑と庚申塔、鬼子母神堂の力石群、本納寺の三猿石塔、法明寺の庚申塔と梵鐘、庚申ビルの庚申塔、池袋水天宮の田の神塔、重林寺の徳川家石燈籠と板碑など、子育地蔵堂の庚申塔、氷川神社の池袋富士塚などを訪ね、下板橋駅まで散策した。




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西武池袋線 東長崎駅北口。
南西へ200m行き左折、目印とした角地の蕎麦店は、更地で中央に「道路予定地」の立て看板があった。 その北側に小城山(おぎやま)の馬頭観音堂がある。
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覆屋内に光背型馬頭観音が納まる。 種子・一面八(?)臂馬頭観音。頭上に馬頭を戴きふっくらとした顔をしている。刻字は、右側「意願成就所 ☐☐」、左側「明和八年卯(1771)/八月十八日 仲右門」。 綺麗に清掃され生花が供えてあった。

さらに北へ100m程行ったところで、右折し細い道に入る。左側の青色鉄階段の下に東長崎4路傍の庚申塔がある。
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ちょうど、女性が庚申塔周囲を掃除していた。丁寧に掃いており、しばらく離れて待つ。
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(左)駒型庚申塔。 日月・文字・三猿。刻字は正面に「庚申」。右側面は隙間が無く断片的にしか撮影できず、「明治」、「十」、「一月」のみ読めた(順序不同)、左側面「願主/金太郎」。
(右)三猿。

ほぼ東方向に800mほど行くと、長崎八幡神社があった。
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立ち寄り、参拝した。 力石など私が関心を寄せているものは、見当たらなかった。

先を右折して椎名町駅方向へ500mほど行った左側の玉垣が、長崎神社である。 西側の脇参道から境内に入る。
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拝殿、参拝。 社殿左側には小柳稲荷神社がある。
参道を逆に、入りぐちへと向かう。 社殿手前、社殿に向かい右(東)側にある赤色の長い鋼管上燈籠の奥、四ツ目垣と石燈籠の手前に力石が2個あった。
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(左)石燈籠と2個の力石
(中)左側の力石。 切付は、「奉納(右横書き) 四拾五☐」。
(右)右側の力石。 「奉納(右横書き) ・・・」、下段には5行にわたり名が刻まれているようだ。 さらに左側にも少し離れて長円石があるが力石かはわからない。
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拝殿手前の狛犬一対。
両部鳥居があり、石段下にも狛犬がいた。
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鳥居の奥に拝殿が見える。
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一対の狛犬。
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左側の狛犬の下には上を向いた仔犬もいた。
左(西)側に今一つの脇参道があり、その玉垣と縄柵に囲まれて力石があった。
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脇参道と左側手前にある力石、そら豆のような形をしている。 切付は、「☐拾☐」。
「日露戰役紀念碑」の後ろに、石造物の断片があった。 見たことがあるような形状だが、思い出せない。最近は全ての記憶が薄れており、困ったもんだ。
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もう一対狛犬がいた。
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大きな石造鳥居内側の狛犬。 この社には三対の狛犬があったが、すべて角がないので厳密には狛犬ではなく獅子です。 この違いは、2015年11月15日登載「(桶川市)川辺板碑等と桶川宿周辺」などで触れている。
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長崎神社の正面。 

つづいて、境内を出た左(東)隣にある金剛院へ庚申塔や力石を訪ねる。

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

(狭山市)狭山市駅から入間市駅まで新宿線の西側(その4/4)


2018年7月4日(水)晴。台風7号の影響で南風が強い。

その1/4では、徳林寺の穴あき石・板碑群・貫通石、天満天神社境内の火の見やぐら、入間川2路傍の馬頭観音を刻む石橋供養塔などを訪ね、散策した(2018年8月4日登載)。
その2/4では、八幡神社本殿の彫刻、慈眼寺の板碑、入間川にある富士塚の丸彫り木花咲耶姫命像を訪ね、散策した(2018年8月12日登載)。
その3/4では、石無坂の庚申塔、広瀬神社境内社の彫刻、広瀬浅間神社の丸彫り青面金剛像を訪ね、散策した(2018年8月26日登載)。



廣瀬浅間神社の石造鳥居前の坂道を南へ100mほど下る。十字路で右折し南西方向へ300mほど水路に沿って歩いて、右折。水富小学校校庭を右に見た先、突き当りがJAいるま野だ。道路へ面して案内板「旧水富村役場跡」があった。旧道路元標があるかもと思い辺りを探すが見当たらない。
突き当りの右(北)方向奥は、神社で正面に石造鳥居と社殿が見える。
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境内は訪れなかったが鳥居手前左側に「水富神社 入口」標石、右側にも「村社 白鬚神社」社号標石があった。旧社格部分刻字にはモルタルが充填してあった。
左折した左側に水富公民館があった。暑さに耐えきれず自販機で冷たーーいポカリスエットを購入、エントランス下の椅子に座りゆっくり飲んだ。ここ数日の急激な暑さに身体が対応できてない。

南に行き突き当りを右折、国道407号線を横断し国道脇の側道を右に行って道なりに左に曲がると、200m先の右側に宗源寺がある。
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宗源寺の山門。 門前左右に徳川将軍家霊廟の奉獻石燈籠が一基ずつある。
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(左)左側石燈籠。 銘文は、正面「文昭院殿 尊前」、右側「奉獻石燈籠 兩基/武州/増上寺」、左側「正德二壬辰年(1712)十月十四日/・・・」。 文昭院は第六代将軍家宣です。
(右)右側石燈籠。 正面「文昭院殿 尊前」、右側「奉獻 石燈籠 兩基/武州/増上寺」、左側「正徳二壬辰年十月十四日/岡崎城主/從五位下大監物源朝臣/水野☐之」。
山門を入ると明るい境内が広がり、正面に本堂がある。
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(左)本堂。 参拝。 禅宗寺院らしく、よく手入れがなされた境内です。
(右)石燈籠は山門と本堂との間、左(西)奥にある墓地の手前に間隔を開けて三基ある。
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(左)山門を入りすぐ左、六地蔵の右側。 朱入り銘文、正面「文昭院殿 尊前」、右側「奉獻石燈籠一基/武州増上寺」、左側「正德二壬辰年(1712)十月十四日/從五位下(氏名は読めない)」。
(中)墓地入口。 正面「有章院殿 尊前」、右側「奉獻石燈籠兩基/武州増上寺」、左側「正德六丙申歳(1716)四月晦日/肥前嶋原城主/從五位下主☐頭源☐松平氏忠雄」、☐は「殿」と「姓」か? 有章院は第七代将軍家継。
(右)本堂前左、植栽の中。 正面「文昭院殿 尊前」、右側「奉獻石燈籠 一基/武州増上寺」、左側「正德二壬辰歳十月十四日/田村下總守誠☐」。
芝増上寺にあった五基の徳川将軍家霊廟の奉獻石燈籠を見ることができた。

国道407号線に戻り南下、入間川を渡って入間市に入る。
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入間川の下流方向。
いつか道路は国道299号線となっていた。橋を渡り300mほど行った春日橋歩道橋がある交差点を左折し東へ向かう。300mほど先の歩道橋の下、交番横を右折して先を進むと(入間市春日町2)蓮華院がある。
門の左右に続く築地塀前に各二基ずつ徳川将軍家霊廟奉獻石燈籠がある。
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(左)築地塀前に並んでいる石燈籠。
(右)蓮華院。 門前左には、寺号標石「真言宗蓮華院」がある。
まず、門左側の二基を見る。
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(左)左側。 銘文は正面「文昭院殿 尊前」、右側「奉獻石燈籠 二基/武州 増上寺」、左側「正德二壬辰年(1712)十月十四日/肥前唐津城主/從五位下大炊頭源朝臣土井利實」。
(右)右側。 正面「有章院殿 尊前」、右側「奉獻石燈籠☐基/武州 増上寺」、左側「正德☐年丙申四月晦日/肥前唐津城主/従五位下大炊頭源朝臣土井利實」。 左側と同一人による奉獻。 
つづいて、門右側の二基。
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(左)左側。 正面「文昭院殿 尊前」、右側「奉獻 石燈籠 兩基/武州/増上寺」、左側「正徳二年壬辰十月十四日/遠州掛川城主/従五位下山城守源姓小笠原☐☐實」。
(右)右側。 正面「文昭院殿 尊前」、右側「奉獻石燈籠 二基/武州 増上寺」、左側「正徳二壬辰年十月十四日/肥前唐津城主/從五位下大炊頭源朝臣土井利實」。 門左側の左と対の「二基」として奉獻された石燈籠。
なお、対の石燈籠を奉獻できたのは、五万石以上十万石未満の大名だそうです。 銘文には「二基」とするものと「両基」とがある。
境内に入ると参道の左右に池があった。
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左(西)側の池奥にお堂があり、しっくい壁には鏝絵で龍が描かれていた。
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本堂、参道左右には石燈籠が並ぶ。 参拝。
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向拝の彫刻。 貼り付けられた千社札が見苦しいです。
本堂の建物は正面から見て宝形屋根だと思ったが、市案内板では「現在の観音堂は天保六年(1835)に再建されたもので、桁行三間梁間四間総けやき、寄棟造り・・・」とあるので、奥行(平面:ひらめん)が四間と長いようだ。
参道の右(東)側に馬頭観音があった。
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基壇上に三基ならんでいる。
中央の馬頭観音菩薩。
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(左)柱状型。種子・三面六臂の馬頭観世音菩薩立像。刻字は右側「天明三癸卯年(1783) 黒須村願主」、左側「二月吉祥日 惣村中」。 
(右)隠れている右側の面貌は、穏やかなお顔でした。
左側の馬頭観音は、中央刻字「馬頭観世音」、右側「嘉永七寅年(1854)」、左側「三月十☐日」。 
右側の馬頭観音も文字塔で、中央に種子・「馬頭觀音☐☐」、右側は読めない、左側「黒須村施主・・・」。右側面に「右ハ志んかし/ミち」、左側面にも「左り☐☐川/川こへ 道」(「左り入ま川」か?)とあり、道標を兼ねている。

門を出て右(西)方向へ500mほど行くと国道299号線に出る。左(南)へ行った、鍵山横断歩道橋の西側階段下に土蔵造の建物がある。
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旧黒須銀行の建物。 公衆電話があることさえもレトロに見える。
旧豊岡町道路元標は、電話ボックスの後ろあたりの壁前にある。
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正面に「豊岡町道路元標」と刻字してあり、目立つ欠けなどがない良好な状態で残っている。
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(左)旧黒須銀行の軒裏を見上げる。
(右)窓ガラスに映る外の景色は、波うつように歪んでいる。これは、現在のフロート法でない古い製法で作られた板ガラスが、当時のまま保存されているのでしょう。
入間市説明板によると、「この建物は、明治四十二年(1909)五月に黒須銀行本店として建設されたもので、土蔵造二階建、寄棟造瓦葺、・・・の建物である。」などとある。

国道299号線を東南方向に行き霞川を渡った先の河原町交差点を斜め左へ細い道路に入る。道なりに行くと入間市駅となる。
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(左)西武池袋線入間市駅北口。 駅前は全く整備されていない。
(右)武蔵野線新秋津駅の貨物線に停車していたmuetrain。列車番号は9232M、行先表示は「試運転」でした。

歩数計は、22,134歩だった。 久しぶりの2万歩超えで、くたびれた。

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

(狭山市)狭山市駅から入間市駅まで新宿線の西側(その3/4)


2018年7月4日(水)晴。台風7号の影響で南風が強い。

その1/4では、徳林寺の穴あき石・板碑群・貫通石、天満天神社境内の火の見やぐら、入間川2路傍の馬頭観音を刻む石橋供養塔などを訪ね、散策した(2018年8月4日登載)。
その2/4では、八幡神社本殿の彫刻、慈眼寺の板碑、入間川にある富士塚の丸彫り木花咲耶姫命像を訪ね、散策した(2018年8月12日登載)。



入間川にある富士塚のすぐ先が中央児童館東交差点で、その手前角に小さな木堂石無坂の庚申堂があった。 実は今回の計画は2017年4月に作ったものだが、その時点では庚申堂は交差点の斜め向かい角にあった(GoogleMap上)ので近年移動したようだ。
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(左)石無坂の庚申塔
(右)数年前まで庚申塔は、交差点の向かい側、画像の信号鉄柱後ろあたりにあった。 信号から右方向に向かう旧道と思われる道路のGoogle StreetView(2015.5撮影)には、在りし頃の小堂がまだ映っている。
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(左)庚申塔が納まる小堂。 左側には時計、「奉納 庚申塔」石柱、「石無坂改修記念碑」石碑が、ならんでいる。 背後右に見える灰色とベージュ色外壁をした住宅の左奥に富士塚がある。
(右)格子戸の間から撮影した庚申塔。 日月・六手青面金剛・二鶏・邪鬼・三猿。
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(左)青面金剛の上半身。
(右)二鶏、邪鬼と三猿。
堂の左側にある石柱。 頂部が鉢状に彫り込まれており、参拝者が手水を使うためのものだろうか?
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刻字は正面「(右横書き)奉納 庚申塔」、左側面「安政二乙卯(1855)三☐一七日/・・・」。正面刻字からこの石柱そのものが庚申塔のようだ。 人間の背丈ほどの時計があった。いわゆる野良時計でしょうか?「入間川小学校PTA」など記されているので最近のもののようです。時刻は正確でした。

左側の片側一車線道路を北東方向に向かうと、300mほど行った交差点手前左側、置き屋根の土蔵前の歩道に狭山市木標識「石無坂 いしなざか/いしんざか」があった。
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(左)今、歩いて来た道路が石無坂のようです。ゆるやかな傾斜でしたが、りっぱな「石無坂改修記念碑」石碑を残すほど、かつては急坂だったのでしょうか? 読みは「いしなしざか」ではない、そうです。
(右)先に続く道路は一段と細くなっているが、本来の旧道なのでしょう。真っすぐ進むと、途中右側に房状に実をつけた樹があった。
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強い風にあおられ白い葉裏を見せていた。 実を見た時はオニグルミかと思ったが、調べたところ葉が丸みをおび葉柄が長いので違うようです。正しい名はわからない。 細い道路の右側は更地で、拡幅計画があるようです。
本富士見橋で入間川を渡った。
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入間川の上流方向。 橋名からして、条件が整えばこの方向あたりに富士山が望めるのでしょうか?
道路なりに進み広瀬交差点角にあるヤオコーで弁当を買いトイレ休憩。 西方向に100mほど行き、右側にあった「廣瀬神社」案内表示に従い斜め右に入る。

200mほど先の左側に廣瀬神社の石造鳥居がある。右側に社号標石「縣社廣瀬神社」が建つ(刻字「縣社」はモルタルで埋めてある)。長い参道を進んで道路を横断した先が、玉垣で囲まれた境内となる。
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廣瀬神社。 参道正面の東面する本殿。 参拝。
案内板によると、延喜式内社に挙げられ、旧県社に列せられたそうです。
参道右側に大きなケヤキがあった。
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ケヤキの太い幹にはこぶができていた。 もしもだが、製材をするとこぶの内側は玉杢(たまもく)なのだろうか? 県説明板には「この大ケヤキは高さ30m、周囲約6mというまれに見る巨木で、樹齢7~800年と推定されます」などとある。
ケヤキの下には、三脚に据え付けた望遠レンズ付きカメラで上方を狙っていた常連らしい人がいた。
社頭に置いてあった「廣瀬神社略誌」を頂き読んだところ、裏表紙に「昔から地元民が温かく見守るアオバズクの営巣と子育て」文を添えて、枝にとまる6羽の鳥の写真が掲載されていた。
参道のすぐ左(南)側、玉垣沿いに覆屋があり二柱が祀ってある。
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覆屋と右側に納まる稲荷神社。一間社流れ造りで全体に彫刻が施されている。
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(左)向拝の海老虹梁。 
(中)身舎(もや)の右側面彫刻
(右)左側面と脇障子裏側の彫刻
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左右脇障子の彫刻。 稲荷神社なので、狐像がいっぱい。
境内にベンチがあったので、日陰で昼食。
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三色おにぎり弁当、食後にアーモンドチョコを3個。

境内を出て左(北)方向にある広瀬浅間神社の富士塚に向かう。 約400m北西、角地が緑に覆われた小山がある。道路に面する裾は、川原石を積んだ石垣になっている。
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(左)廣瀬浅間神社。 石造鳥居をくぐり参道を進む。石段がイナズマ状につづき、合目石もある。
(右)二合目にあった木祠。
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(左)四合目に覆屋がある・
(右)丸彫り青面金剛の庚申塔が納まる。 六手青面金剛・邪鬼・三猿。膝上位置で折損補修してあるが、ほぼ完形でした。赤い彩色が残っていた。
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(左)青面金剛の上半身。
(右)邪鬼と三猿。 三猿の太ももや仕種は、なんとなく人間のようだ。
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(左)ほぼ正面を向いている邪鬼。 手足の指は大きな爪があり、四ないし三本指のようだ。
(右)右側正手には、合掌するいわゆるショケラを下げる。
富士信仰と庚申信仰は関わりを持っていたようで、ここに丸彫青面金剛像があるのも自然なことだったようです。 石神裕之著『近世庚申塔の考古学』では、「近世後期の庚申信仰には、富士信仰との関わりを示す事例がしばしば認められるようになる。例えば富士講に関わる史料として、大田区石川地区の庚申講が所有する庚申待の掛軸がある。・・・図像には富士山を背景に「庚申」の文字が大書され、・・・」などといくつかの事例を示し論考している。
「小御嶽大神」石碑を右手に見て上へ進む。
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頂上には「冨士浅間宮」石碑があり、ほぼ南面していた。
狭山市説明板『広瀬浅間神社の火まつり』のなかで、「広瀬浅間神社は、土を富士山の形に盛った人造の小型富士山=富士塚で、万延元年(1860)の創建です。祭神は「木花咲耶姫命」です。・・・狭山市内でも富士講活動が盛んでした。・・・水富〇ろ(まるろ)講も、その一つで、・・・」などとある。 なお、万延元年は庚申のアタリ年でもある。
四合目の覆屋まで戻ったところで東方向へ道があったので行ってみた。石造鳥居があり下から続く石段があった。石段を上りきると正面に石祠があった。
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石祠を紙垂(しで)の間から窺うと「愛宕神社」と刻まれていた。

南西方向約1kmの宗源寺ほかにある徳川将軍家石燈籠を訪ねる。


テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

(狭山市)狭山市駅から入間市駅まで新宿線の西側(その2/4)


2018年7月4日(水)晴。台風7号の影響で南風が強い。

その1/4では、徳林寺の穴あき石・板碑群・貫通石、天満天神社境内の火の見やぐら、入間川2路傍の馬頭観音を刻む石橋供養塔などを訪ね、散策した(2018年8月4日登載)。



石橋供養塔から西方向へ行って県道50号線に出て左折、300m先の真正面に緑に覆われた小山が見える。 狭山市入間川にある八幡神社です。
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石造鳥居とその奥には石段が続いている。石段は途中で左に折れたのち境内に至る。
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拝殿前にいる、一対の狛犬。
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拝殿、社殿は北西を向いている。 参拝。
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向拝の彫刻
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左側の駐車場から撮影した拝殿と左奥の本殿。
本殿は朱塗り板垣の外を巡ることが出来るので、比較的近くから彫刻を見ることができる。
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本殿と向拝の軒裏。 みごとな彫刻です。
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木階(もっかい。木口階段)と腰組(こしぐみ)。
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背面の彫刻。 二人の女性が琴と笙を奏じ、福禄寿が横笛を吹いている。
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(左)左側面の彫刻。 下に釣り竿と鯛を置いて恵比寿が、筆を持ち書をしたため、その上では誰かが掛け軸(鳥の絵が見える)を掲げている。
(右)右側面の彫刻。 俵を脇に置いた大黒天が、誰かと囲碁を打っている。
文人のたしなみである琴棋書画をモチーフに七福神の姿で表現したようだ。
狭山市説明板があり「当社殿は寛政八年(1786)に初釿(おのはじめ)をし七年を要して完成したという。・・・入母屋の流造の特性を持ち、一間社造りの胴のしまった均整のとれた唐破風の向拝があり正面は千鳥破風の珍しい建築様式で、四面の彫刻は精巧を極めた優雅な社殿総彫・・・」などとある。また、棟札に彫刻等作者の墨書が記されているそうだ。
PCで画像再生したところ、左右脇障子の上にサルが二匹ずついた。
左側の脇障子。
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内側猿は左側の手が開いた口元にあり、なにかを食べているようにも見える。 外側猿は後ろを向いて頭を低くして遠くを窺っているようだ。遠見サルだろうか?画像がぼやけてはっきりしないが、「よく見ろ」の意か。(右画像は背面側)。
右側の脇障子。
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内側猿は後ろを向いて両手は下げている。目を閉じているようにもみえる、「よく考えろ」の意か。 外側猿は第一(母)指で耳、第二・三指で眼、第四・五指で口をそれぞれ塞ぐ。いわゆる三セザルを意味する三猿を一匹で表現している。(右画像は背面側)。
駐車場奥の一段高い位置に入間川神社があり、砲弾があった。
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下に五光星があり陸軍の砲弾と思われる。 朱色は下地塗りのさび止め剤が露出したのだろうか?

駐車場北側の車両出入り口から境内を出た。県道50号線に戻り、引き続き南下する。 400mほど先の右側、狭山市駅入口交差点手前に慈眼寺がある。
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(左)石段上の山門、手前左右に石造の金剛力士像がある。
(右)本堂。 参拝。
本堂の左(西)側に脇参道があり、門柱の左(南)側に板碑が建っている。
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(左)西側の脇参道。 画像中央に薄緑色の板碑が見える。
(右)連座上の種子は阿弥陀三尊でしょうか?紀年銘は嘉元三☐乙巳(1305)七月。左右に偈が刻まれている。
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(左)主尊の種子。
(右)珍しく台石も備わっていた。
背後に柱状型の文字「馬頭観音」があり、その左脇にも板碑の上半部があった。
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激しく風化して刻字等が、摩滅している。
西脇参道から出て目の前の墓地通路を南西に向かう。墓参帰りの中年の夫婦に出会ったので、この先で道路に出られるか尋ねたところ、「行ったことはないが多分行ける」とのことなので、進んだ。
通路を1/3ほど進んだところで、左側の墓域内右側に比較的大きな板碑が横にして立てかけてあるのが見えた。
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(左)画像左端、コケで黄緑色をした墓石の後ろにあった。
(右)連座上に「弥陀佛」が読み取れ、六字名号板碑の下半部と思われる。

墓地通路をさらに南西に進むと道路擁壁の上で行き止まりだった。右へ行くと石段があり道路に下りることができた。新しそうな道路を南西方向へ300mほど先の中央児童館東交差点の手前にある富士塚に向かう。
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(左)道路から右方向を撮影。 この下あたりに入間川の富士塚がある筈だが、アプローチが分からない。歩道から住宅右横の道路法面を下りることとした。幸い除草してあり30度ほどの急傾斜だが手を使うことなく下りることができた。
(右)宅地の北東角が欠き込まれて、コンクリート造基壇とその上に木造の小さなお堂があった。お堂の横(道路寄)には多数の石碑が重なるように立っていた。 「富士山開現貮千貮百年祭/登山紀念碑」、「小御岳神社」などが読み取れた。
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法面を一度下まで降りてから左へ回ると石段があった。石段を上りお堂に進む。 
その左右にも多くの石碑など石造物があった。
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(左)カラス天狗の浮き彫りがある石祠のようだ。
(右)この石碑には、「大祖參神霊/扶桑教・・・富山常行書」とあり、扶桑教の富士塚であることがわかる。
基壇上にはお堂があるが、木や草が茂り正面までは近寄れない。
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(左)お堂は石段に対して横向き(南西方向、富士山と相対しているようだ)なので、斜めから参拝。
(右)木花咲耶姫命と思われる丸彫りの女神立像。 台座には、中央に講紋(山形の下に丸内に「日立」)。刻字が右側「神道一等」、左側「扶桒教☐社」。☐は「会」字の「云」に替えて「カ」らしい。左側面にも刻字があり角度的に読みづらいが、「石工/小暮岩吉」のようだ。 彩色が一部残る。
『日本石仏事典 第二版』庚申懇話会編には、「明治維新後、禁止令をうけて衰退していた冨士講を糾合した扶桑教(宍野半設立)、・・・が設立され、・・・明治以降の冨士講碑にはこれら各教派神道の色彩をおびているものも少なくない」など説明してある。

すぐ隣の中央児童館東交差点の角にある、石無坂の庚申塔に行く。

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柴二郎(男)

Author:柴二郎(男)
酒はダメです。
たまに、散歩します。
読む人もいないと思うので、思いついたままの独断を書いています。
投稿は適当にするけど、当分は過去の散策記録が主です。
武蔵国はここでは、東京都・埼玉県とその周辺の範囲です。

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